満月のアリア (6) 画廊 2

2021/11/20

二次創作 - 満月のアリア

「そういえば、少しサベリーエワ様に似ていますね。偶然とは言え、面白いですね」
 ルードビッヒは画商の言葉を疑った。今、ミレーヌに似ていると気づいただと? もっと前に気づくだろう。画商が仕入れた絵を観察しないわけは無い。自分の愛人だった女だ、気づかないはずは無いだろう。嘘をついたな、彼は心の中で舌打ちする。
 画商のフランコ・イケダは、無論、気づいていた。
 サジノヴァは、中年以降の哀愁を帯びた風景画で、ぼちぼち売れ始めた作家だ。病死の連絡を受けて、アトリエに残された物をすぐに押さえた。今後、化けるかも知れない。初期の作品でも買い手はつくかと思った。この絵は風景画とは絵のタッチが違うが、美人画なので別の需要もあるだろう。
 絵の価値として大した事は無いが、見た時に、どこかで知った顔だと思った。サジノヴァの他の絵に、若い女はいない。他の作家が使ったモデルだろうか。じっと眺めていると、記憶が繋がる。知っているのは他の絵では無い、実物の顔を知っている。かつての愛人、ミレーヌ・サベリーエワに似ているのだ。
 ネクライムが初代フューラー総統だった頃、短期間だがフランコは関わっていた。組織のマネー・ロンダリングに共犯し、なかなか儲けさせてもらった。とは言っても末端での事であり、当然、総統なんぞという者に会った事など無い。名前を知るのみだ。その時の窓口がミレーヌであり、いい女だったので当然、口説く。儲けと女と2つも手に入れられて、結構な気分だった。

 マネー・ロンダリングの客は大抵の場合、その美術品に興味は無い。興味があるのは洗浄できる金だけで、対象はどうでもいい。それはネクライムだけでなく、大企業のお偉いサン、政治家のセンセー、よくある話だ。
 だが悪事に手を貸しているとは言え、彼とて、絵画に純粋な美術品として崇める思いが無いわけでは無い。資金洗浄の他、投機対象として扱われている事も、重々承知だ。そういう馬鹿な客どもを心の中で軽蔑し、儲けを手にして、自分の求めた芸術を愛していた。
 だがミレーヌは絵画そのものに興味があり、絵の見方を教えて欲しいと言う。美術館やオークションにも連れて行き、彼は絵の知識を披露する。それは彼の自尊心を十分に満足させるものでもあった。もちろんベッドも堪能した。
 ある時、彼女は言った。
「もし見かけたら、教えてくださる?」
 それが今、話題に出しているブロンド女の絵である。これまでにも何度かリクエストに適合する絵を紹介した事はあった。だがどれも「違う」と不発である。しかし今回は「当たり」のはずだ。なにせ彼女と顔が似ているのだから。
 残念ながら「当たり」が出る前に、突然に麗しい関係は終わっていたが。彼女から組織との取引終了と、個人的な関係終了の電話が来た。取引終了はボスからの命令だと言う。ならば、どうしようも無い。しかしフランコは、簡単には引き下がらない。せめて彼女との関係は保ち続けたかった。が、電話の向こうの声は、あっさりと別れを告げて、切れた。

 あの頃、彼女が求めていた絵がこれだとすれば、似ているのが偶然のはずは無い。必然だ。これは彼女の母親だろうか。聞いていた話と違う状況だが、話自体が作り話の可能性もある。その背景は知らないが、母親の絵を探していたのかと納得する。
 さりとて、自分でこの絵を所有したいとは思わなかった。上等な女だったが、もう何年も前の話だ。自分を袖にした女に似た絵を飾るほど、彼はロマンティストでは無かったし、今は別に愛人がいる。第一、さして著名でもない画家の初期の作品を持っていたら、理由を妻に疑われる。妻の父から継いだ画廊だ。妻に頭は上がらなかった。
 たまたま訪れた、ミレーヌを知る客。身なりの良さから、青年実業家という所か。どこかのパーティーで彼女を知ったとか。この男になら、ちょっとした小遣い稼ぎの値段で売れるかと、少し芝居を入れてみた。
 客と画商、狐と狸の化かし合いの様相である。

「いい絵だな。これをもらおう」
 初見の客の言葉に画商は驚いた。即決かよ! またずいぶんにご執心だな。「君に似た絵を手に入れたんだよ」とでも、口説くつもりかい? たいした価値の無い絵が、色良い値段になるかもしれない。フランコはポケットから電卓を出し、予定より2倍の値段を表示させる。値切られるか? こんな事ならもっと豪華な額にしてハクを付けておくんだった。
「こちらの金額となります」
 ルードビッヒは、電卓をちらりと見ただけで、了承する。
「包んでくれ。車を取ってくる」
 彼は、懐から出した分厚い財布から札束を出すと画商に渡した。この男に儲けさせてやるのはしゃくだったが、今は絵の方に興味がいった。フランコは急展開に驚愕する。初見の客が絵を買うなんて、そうある事じゃない。即決、即金、持ち帰りときたもんだ! 一体、どういう客なのだろう。偽札じゃないよな、と札束のチェックを予定に入れる。
「はい、大至急、包ませていただきます」
 腰を折ると、ドアの向こうに消える客の後ろ姿を観察した。

「この度は、大変ありがとうございました」
 またご利用ください、の言葉は出なかった。
 フランコは前よりも更に深々と腰を折り、名乗らぬ初見の客を見送った。芳名帳に氏名の記入を願い出る事も無かった。店の前に乗りつけられたカスタムの豪華なエア・カー。それは狂乱の20世紀を懐古させるような、スクエアな黒のボディにフロントグリルやウィンカー等のランプ類は金色に縁取られ、華やかさを備えていた。
 画廊の顧客の中には、20世紀のクラシック・カーのマニアもいる。20世紀前半の優美な車を前に、すばらしいコレクションですね、と世辞と本音が混じったセリフを口にした事もある。そんな車に似ていた。そして、ボンネットの上には金に輝くNのエンブレム。
 トランクに梱包した絵を積み込む時には、すでに気づいていた。客の名を聞く必要は無かった。これはクリスタル・ナイツ・ネクライムの車だ、そして多分、この男は⋯⋯。一体全体、何がどうなってるんだ。混乱しながらも、冷や汗が出た。どうぞ、自分が値段を吹っ掛けた事に気づきませんように、と滅多に祈らない神に、祈った。


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