列車の窓の景色は、あっという間に通り過ぎて行く。ミレーヌの乗ったチューブトレインの車両は、金曜日の昼過ぎだというのに想像より乗客は多かった。とは言え、6割程度の混み具合ではあったが。彼女の隣の席は、空いたままだ。こんな寒い季節に、わざわざ北に行こうと思う客達を不思議に感じた。家族連れが多いようで、時おり、幼な子のきゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえてくる。
「ねー、雪のすべり台あるんでしょー」
幼女の親へ尋ねる声が耳に入る。母親の声が答えていた。
「それは明日ね。今日はホテルに着いたら、大通りを見に行こうね。すっごく大きな雪像、作ってるわよ」
「せつぞーって、なにー?」
これから始まる楽しい週末に、親子の会話が続く。ネオ・サッポロで雪像のあるフェスティバルが始まるらしく、どうやらそれに向かう客で混んでいるようだ。
しまった、向こうは混雑しているのかと悔やんだが、一番人出の多い、大通り会場での開催はまだのようだ。何とかなるかと思い直した。
耳に届く幼女の声はくすぐったく、ミレーヌは、車窓の流れる景色をぼんやりと見ながら、思考する。
ネクライムの構成員、彼らだって妻や夫や子供がいる者もある。それは個人の問題だ、組織として禁じているわけでは無い。ただ、その多くは公的な結婚や事実婚では無い。現代社会では死別、離別を含めた未婚率が50%に近い今、公的に事実婚を認める制度がある。同性婚も認められている。
しかしネクライムは非合法の組織であるから、当然、非合法な形で公的身分を持たないままの者も一定数いる。無国籍や、不法移民などがこれに当たる。また公的身分があってもそれを使えない者、すなわち組織加入以前に犯罪で指名手配などされている者もいる。公的身分が無い、あるいは使えないのであれば、公的な結婚も事実婚もできない。
そもそも公的身分が無い者は、社会システムの中で支援のための手からこぼれ落ちている。どうにもならない状態で、ネクライムに来る者達だ。今さら、公的なアイデンティティを求めない。
公的身分があり、組織内でパートナーを求めたとしても、男女比率の違いから「職場結婚」は少ない。外部のパートナーを持つ物は己の立場を知らせるかどうか、そこに悩みがある。秘密は絶対である。
相手に知らせる事ができないのであれば、内縁関係を続けるか、どうしても公的な結婚を望むのなら、ネクライムのフロント企業を名目にして身分を誤魔化すか、あるいはミレーヌのように「身分を買う」か。できない事も無い。だがそこまで求める者は少ない。
しかし誰だって結婚式を挙げるのは、この世の自由だ。内縁関係でも結婚式を挙げたなら、組織として、それは結婚とみなしている。構成員への福利厚生の一環だ。ブラックな存在である組織でも、ブラックな就業内容では有能な人材が集まらないし、不要な流失に繋がる。運営という意味では、表の組織も裏の組織も、同じだ。
万一、命を落とした時は、適当な事故をでっち上げ、事故死という形にするのが通例だ。遺体の損壊が少ないなら、病死もある。墓地に丁重に埋葬する。遺族がいるなら、それなりの慰霊金も用意している。捨て駒にされて喜ぶ者などいない。そんな扱いをするトップに、誰が忠誠を誓うだろうか。そんなのは、ネクライムよりよほどタチの悪い、カルト集団くらいだ。部下には上部に対する恐れと共に、一定以上の恩恵が必要である。
かつて、母亡き後のミレーヌを育てたネクライマーのオルガ・ワトー、そして彼女の弟、ヴィクトルも、今はパリ郊外の墓地に眠る。
ミレーヌは、列車に乗り込む前に買い求めたオレンジジュースの樹脂製カップを手に取り、ストローに口を付けた。酒を飲みたい気分ではあるが、しばらくアルコールは飲めない、ソフトドリンクで誤魔化す事でも覚えよう。タバコも、お預けだ。
以前、殺し屋エイズリーを雇った時は、ひどかった。事前に猛者達を集めておいたのに、エイズリーをテストするためとは言え、ああまでネクライマーに大怪我をさせられるとは。もう少し手加減をして欲しかった所だ。あの後は、彼らに多額の見舞金を出したものだ。
そんなエイズリーもウラシマン達の前に倒され、死んだ。遺体は警察で無縁仏として処理されたのだろうか。
過ぎた事を思い出して軽くため息をつき、自分の腹に手を当てた。そして、子供、だ。
構成員に子供ができた時が問題だ。堕胎するのか、産むのか。産むのなら、どう育てるか。
父親と母親の片方か、あるいは両方が構成員か、それぞれの公的身分の有る無しで、それは複雑になる。別れる、堕胎する、産む、あるいは産んで社会に捨てるか、それぞれの立場と状況で様々な形になる。
公的身分の無い者同士は、当然、子供もそうなる。その子は公の権利である福祉や教育を受ける事ができないし、そもそも「この社会に存在しない子」となる。それは組織の子供として育つ。
医療は組織内のクリニックや、ネクライムの息の掛かった医者で何とかなるが、さすがに子供のための教育機関まで、用意されてはいない。
教育は、両親あるいは片親からの、はたまた周囲のネクライマーからの教育しか受けられない。たまたま経験や教養のある者が、個別に教える事もある。それはある意味「善意」だ。日の当たる社会から隔絶した集団にいる彼らの結束であり、身内に対する愛情とも言える。属するコミュニティーが小さいほど、帰属意識と団結力が増す。
そして子供は、小さい頃から身近にある銃器の扱いや格闘技も、当然のように覚えていく。教育レベルの低い、狭い世界しか知らないで育つ子供は、視野も狭く、粗暴な性格になる比率が高い。将来の上級構成員としての資質に欠ける。あまり明るい未来とは言い難い。
ゆえに構成員の多くを占める男達のために、娼館がある。表向きは風俗店だが、中身はどこにでもある、それだ。
下手に管理の悪い風俗店で彼らが性病等に罹患しないように、ネクライムの店として娼館がある。健全な店として、一般客にも受けがいい。定期的な健診を受けた女達が、彼らにひと時の慰めを与える。ただ、その女達には店がネクライムと繋がっている事は知らされていない。不要に秘密を知る人間を増やす必要は無いからだ。
女達の性を売り物にしているのは事実だが、そうしなければ生きられない女達がいるのも現実だ。ミレーヌも、それに異存は無い。
かつてルードビッヒがフューラーに反旗を翻すと宣言した日、スティンガー部隊、ミレーヌ、ジタンダが、その場に居た。終着駅が地獄の果てだとしても付いていく、と応えたミレーヌはジタンダに同意を求めた。その時ジタンダは、
『でも、あたしゃあ、一度でいいから結婚がしてみたゃあ』
そう言い、その場の皆を笑わせた。それは決して嘲笑では無かった。普通の幸せを求めたジタンダに、それが叶えばいいと微笑ましく思ったのだ。
ジタンダに別れを告げる事はできなかった。なぜと問われても、理由を口にする事はできない。彼女は名前も過去も、捨てるのだから。腹の子のために、もう関わる事は無いのだ。
初めて出会った時の、裏路地の痩せた子供を思い出す。上手く、生きなさいね。ジタンダには、心の中で願うだけである。
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