このところ、立て続けにミステリー小説を読んでる。自分のための参考として。ちょろちょろと旧Twitterで呟くんだが、今回は文字数が明らかに足りないので記事とする。
早川書房『幻の女 新訳版』ウィリアム・アイリッシュ、黒原敏行 訳、元は1942年出版の古い作品だ。古典と言えるかもしれない。
私は小学生の頃、子供向けのダイジェスト版を読んだような気がする。その後、ちゃんと読んでいなかったな、と思って手にした本。あれから何十年経っているんだ。
面白かった。古さを感じさせない。妻の殺人事件の犯人として死刑執行を待つ身の夫、彼のアリバイ証明に証人の女を探す友人、恋人、警察官。感想に多くは語れない、それがミステリーだ。
そして訳者あとがきを読むと、なるほどと感心する。原文で読まない限り、翻訳本は訳者のセンスが大きくモノを言う。正しい翻訳とは何か? 結構、いやかなり難しい。そもそも何が「正しい」のか?
自分の拙い4コママンガを英訳する時に思った。自動翻訳した文だと、なんか違う事がよくある。言葉の背景にある生活や文化を含めて、翻訳なのだ。どう訳すれば通じるのか、たいした量でもないのに、ウンウン唸った。私の英語能力が低いのが問題だけどさ。
だから翻訳者って、無茶苦茶、難しい仕事だと思うんだ。でも裏方だよね、海外著作の作者名は覚えても、訳者名は覚えないよね、普通は。著作権のパーセンテージ、どうなってるんだろう、とか考えたりする。
創作者に対する尊敬と共に、翻訳者に対しても同様のそれを覚える。
自分的には『幻の女』は、なかなかの思い入れがある。いや、今さらに読んで思い入れっていうのもなんだけど。
小学生の時だ。マンガ家の和田慎二さんの『愛と死の砂時計』、別冊マーガレット巻頭カラー読み切りで読んだ。無実の罪を着せられた男、探偵と友人と恋人が、アリバイ証人を探す話。そう、下敷きは『幻の女』。もちろん当時はそれを知らなかった。死刑執行までのカウントダウン、証人は次々と消えていくスリル。とにかく面白かった。家族旅行の交通機関の時間潰しに、初めて親から買ってもらえた少女漫画雑誌であったがゆえに、強く印象に残り、その後の私のマンガ趣味に続く。
『幻の女』子供向けダイジェスト版は、これとは別に読んだと思う。有名ミステリーという事で、本じゃなくて学習雑誌のページだったかもしれない。
後年、和田さんのハードカバー豪華本の中、マンガコラム的なページで『愛と死の砂時計』は、編集者から「これで描いて。版権取るのは無理だから(手間で? 著作権料で?)、適当に変えてね」とウールリッチの『幻の女』を渡された、とあった。いいのかよ、集英社。
すでにそのハードカバー本は手放したので、記憶でこれを書いている。ネットで探してみたが、多分、この本だと思う。
(ウールリッチは本名で、ウィリアム・アイリッシュ名義で書かれているのだが、当時の訳本の著作者名はウールリッチだったのかもしれない)
そのページを読んでから、ああ、そんな事もあるんだと。
確かに大筋は変わらない。だが舞台設定から人物設定まで大幅に変えて、なんと上手い脚色か! 気が付かないよ。
だがわざわざ、自分が下敷きにした作品の事を告白するなんて、ある意味「勝手に使ってごめんなさい」と言いたかったのかも。
そんなわけで『幻の女』は、とても興味深い作品であったのだ。
なんせ『愛と死の砂時計』は、私立探偵 神恭一郎の初登場作品だしね! その後、神恭一郎は読み切りの『オレンジは血の匂い』を経て、『スケバン刑事』へ登場するわけだ。
初登場時、背中まである長髪の男はかなり珍しかった。しかし時代が変わり、長髪の男はひとつの美男アイコンとして定着する。和田さんは先のコラム中で、長髪ばかりなので逆張りで坊主頭の男を出したい、との話もある。まあこれが『スケバン刑事』の三平になるわけだ。
名作を下書きとまではいかなくても、エッセンスを感じさせる物は他にもある。
『銀色の髪の亜里沙』は『モンテ・クリスト伯』を思い起こし、『大逃亡』は『レ・ミゼラブル』ぽいかな? 和田さんに限らず、様々な作家が色々な文学作品をマンガのエッセンスにしている。面白いね。
しまった。ミステリーの話だったのに、マンガの話になった。
成人して、海外旅行の際に免税店で「ダンヒル」紙巻きタバコを1カートン買ったのは、神恭一郎の愛飲設定だからである。ダンヒル、高いんだもん。普段は吸えないよ。
なお実写ドラマの『スケバン刑事』は、原作イメージが壊れるのとアイドル物に興味が無かったので、視聴した事は無い。
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