すらりと伸びた身長に、身体はもう少女から大人へと変化し、丸みを帯びた。バランスの良いプロポーションは、街を歩いていれば「モデルになりませんか」と声を掛けられる程度には人の目を引いた。
父からの電話の後、会食は2度あったが、お互いに踏み込む話題は避けて、娘の近況を父が尋ねるいつもの会話で、食事を楽しむに留めた。数年後の別れの時を知っている父と娘は、それまでの間をささやかな思い出作りに当てる。
大学までは自転車で通うつもりだったが、ヨーロッパ1交通マナーが悪いパリ、オルガは交通事故の可能性を理由に反対した。本音は警護が撒かれるからではないかと想像できたが、我がままを聞いてもらった生活なので承知し、地下鉄で通った。
今日は映画館からの帰りだ。いつかのピエトロではないが、ミレーヌは映画館が気に入っている。彼とはあれきりで、高校卒業後は会う事も無いが、名画座の存在を教えてくれたのはありがたかった。どこかの映画館でピエトロと顔を合わせたら、礼を言う程度の感謝はある。皮膚接触の事は、とうに忘れた。
ミレーヌはコメディが好みである。悲しい映画は観たく無い。銃器で撃ち合ったり殴り合ったりのアクションも、嫌だった。新作の映画もあるが、凝ったCG画像より、昔の映画に惹かれた。感覚が古いと言われればそれまでだが。
15時すぎに家に帰り着くと、オルガがほっとした顔を見せた。
「ああ、良かったわ。今日は帰りが早くて。マリエットが、交通事故で病院に運ばれたと電話があったんです」
「マリエットが!」
ミレーヌの遠い記憶が、身体中の血をざわつかせる。
「怪我は? 大丈夫なの?」
声が、震えた。
「脚の骨を折ったという事で、入院したようです。これから私は病院に行きます」
そう言うオルガは、すでに着替えなど用意してあるのか、大きなボストンバッグが玄関脇に置いてある。ああ、と言ってミレーヌはその場にへたり込んでしまった。交通事故という単語は、心臓に悪すぎる。良かった、骨折だけで。ミレーヌの嫌な記憶が遠のいた。私も行く、とオルガと連れ立って病院へ向かう。
「すみません、お嬢様まで」
病院のベッドに横たわったマリエットは、申し訳無さそうに言う。彼女は月に1度の日用品を買いに出かける日で、石鹸や洗剤、シャンプーなど足りないものをまとめて買って、届けてもらうはずだった。
日用品店の帰りに、路地の十字路で一時停止を無視した車に轢かれたと言う。そのまま車は逃げて行った、轢き逃げだ。
マリエットの左脚はギプスで固められ、掛け布団の外に出ている。当然、しばらくは入院となる。
「気にせず、養生してちょうだい」
オルガはそう言って、彼女をねぎらった。
「良かったわ、脚の骨折だけで。他は打撲が多少で、頭は打たなかったから」
帰りの車の中で、オルガは車のハンドルを握りながら、安心した顔をする。
「あの、マリエットって⋯⋯脚にあれ、付けてなかったの?」
ミレーヌには疑問があった。いつかの日にオルガの脚に取り付けられていた拳銃の事だ。
「外に出る時は、外してますよ。それこそ、外では他者に襲われるよりも交通事故の確率の方がよっぽど高いですから。家では襲撃してくるのはプロでしょうから」
そういうものなのか、ミレーヌは変な理屈に思えた。
「さて、どうしましょうか」
オルガが言った。マリエットの代わり、という意味だろう。
「ねえ、もうマリエットには引退してもらっては、いけないかしら?」
そう答えてみる。マリエットは、ミレーヌが大人になって仕事が完了したら、組織を抜けられる。
「私だって、秋には18歳よ。成人だわ。マリエットの代わりの人をわざわざ探す必要は無いわ。私だって食事の支度や、掃除だって、洗濯だってやれるでしょう。小さな子供じゃないんだから。オルガの休みの日は、家で大人しく勉強してるわ。マリエットを自由にしてあげたいの」
普通の生活を望むのは、自分だけでは無い。組織を抜けられるんです、と話していたマリエットも、ミレーヌと同じだ。その時期を早める事が可能ならば、そうしてあげたかった。
「⋯⋯そうですね、お父様様にご報告を兼ねて、提案してみます」
そう言ったオルガは、秘密を知る人間を増やしたくないと考えていた。ミレーヌも口には出さないが、それを感じている。秘密は知る人間が少なければ少ないほど、いいのだ。マリエットに自由が訪れる事を、願った。
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