形の無い月 (27) 新聞 2

2021/10/15

二次創作 - 形の無い月

 新聞の件の後、ミレーヌの誕生日は来たが、父との会食は断っていた。父への思慕と恐怖が心の中で混沌とし、会える状態では無かった。会食は強要もされなかった。朝食はシリアルに変えた。
 そして、自分の未来を考える。大人になり普通の生活をするとして、自分は何になりたいのかと。来年になれば高校卒業証明書バカロレアに向けての勉強だ。問題無く進級し、バカロレアにストレートに合格すれば、成人年令の18歳より前に大学に行けるようになる。だが、その前に自分が求める物が何なのか、決めておかなければならない。
 どう考えても、父が組織を辞める事は無さそうだった。普通の人生を歩むとすれば、父と離れるしかない。そしてそれは、オルガとの別離も含んでいた。
 庇護者として、姉として、母として、長い年月、彼女はミレーヌと共にいた。側にいる事が当たり前の存在である彼女から、離れなければならない。それは、もう二度と会う事が無い、という意味で。

 かつて尋ねてみた事がある。
「オルガが、組織を抜ける事は無いの? マリエットは、この仕事が終わったら抜けられるって聞いたわ」
「今さらですわ。私は彼女と違って、お父様に御目通りしておりますし、色々と知っておりますから。不可能です」
 すでに気持ちが吹っ切れているのか、オルガは笑みを浮かべて、そう答えた。
 オルガが組織の側に留まるのなら、離れた後にはもう会う事はできない。「普通」になるためには、今までの生活すべてを断ち切る覚悟が必要なのだ。それは、彼女自身が決めるしかない。

「ねえ、私は18歳になったら、この家を出てもいいの?」
 11月になり、夕食の後、オルガに尋ねてみる。彼女は少しの沈黙の後、口を開いた。
「お父様がお許しになるのでしたら。でも、あなたはどうするのですか?」
「今の予定だと、17歳には大学に行けると思う。18の時はまだ2年生だけど、国立大学の授業料は無料だし、諸経費でもせいぜい年に400ユーロくらいだって。あと生活費は自分でアルバイトするとかして⋯⋯」
「無理です」
 オルガは、無情にきっぱりと言い切った。
「パリの家賃の高さ、知ってます? 学生が住むワンルームの安いアパルトマンでも月に800ユーロはしますよ? しかもそういう場所は治安も良くありません。その他に生活費。大学生のアルバイトで何とかなる金額ではありません。アルバイトばかりしてたら、勉学もおろそかになります。しかも、あなたでは奨学金も無理でしょう。富裕層なんですから」
 痛い所を突かれた。そう、ミレーヌの立場では奨学金は期待できない。むうっとする彼女に、オルガが優しく尋ねる。
「どんな人生設計を考えてます?」

「えっと、私は世界が狭いわ。広い所に出たいの。外国にも色々行きたい。だからフリーランスの通訳をやってみたいなあって。語学は嫌いじゃ無いし。英語とドイツ語、スペイン語なら、何とかなりそう。日本語は、まだ難しいかな」
「色々な言語を学ばせたのは、お父様のご配慮です。あなたがどの国でも生きていけるように。もちろん、それを吸収できているのは、あなたの努力です」
 それは、父の愛と言えた。父から離れようとしている自分が、父の思いを土台にしているのは皮肉としか言いようがない。
「でもね、フランスで通訳の資格を取るには、大学の修士マスターまで必要なの。学士リサンス含めて5年は必要なのよ。国内でいくつか仕事をこなして実績作って、外国に行きたいんだけど」
 ミレーヌは、ため息をついた。何の資格も無い人間に、通訳の仕事のあるはずも無い。
「それなら修士修了までしっかり勉強して、この家に居ればいいじゃないですか。そのくらい、甘えていいんですよ」
「それは都合のいい、我がままよ。お父様が納得するとは思えないわ」
 オルガは、微笑んだ。
「きっと、お許しになりますよ。次の日曜は写真を撮りに行きましょう。私の事は気にしないでください。先月、会食できなかった分、お父様にお写真を送りましょう」
「そうね⋯⋯」
 父から離れる決意をしたのに、まだ甘えようとしている自分が情けなくもある。しかしそれもまた、すべてを断ち切る事への恐れでもあった。父の存在、オルガの存在、今から別れのための心の準備をしようと考える。
 せめて、お父様に微笑んだ写真を送ろう。彼女は自分の道を決めた。

 ミレーヌは写真と共に、父に手紙を書いた。オルガに話した、自分の未来を。本当は直接会って、伝えたかった。その時の父の反応が知りたかった。しかしオルガを通して会うのを求めてみたが、叶わなかった。それゆえに手紙を綴る。自分の思いを切々と文字に乗せた。
 オルガに渡した封筒は、おそらく『パン屋』を通して父に届くのだろう。父からの返事、あるいはオルガを通しての返事があるのを待つ。3日過ぎた夕食の時に、家の電話が鳴った。ダイニングの受話器を上げたオルガは、えっ、と驚いた声を出し、受話器をミレーヌに向ける。
「フューラー様です」
 いつもなら「お父様」と言うオルガが「フューラー様」と言ってしまうほど、それは驚きだった。初めての父からの電話である。今まで、会う事以外、父からのコンタクトは無かった。
 あの手紙を怒っているのだろうか、今まで怒った父など想像した事が無かった。緊張しながらミレーヌは受話器を耳に当てる。
「ミレーヌか、手紙を読んだぞ」
 久しぶりに聴く父の声に、少し老いを感じた。
「ごめんなさい、お父様。あれが私が出した答えなんです」
 言いながら、早くも涙で目が潤む。涙声になっているのを気づかれているだろう。
「泣くな、もう良い。ワシはワシの道を行く。お前はお前の道を生きろ。だがせめて独り立ちするまでは、ワシの目の届く所にいてくれ」
 父は優しい声で、娘を気遣った。
「ありがとう、ごめんなさい、ごめんなさい、お父様」
 涙が止まらなくなった。
「勉学に励めよ、ミレーヌ」
 父はそう言って、電話は切れた。別れはまだ先なのに、心が痛い。自分は父を捨てる決心をしてしまったのだ。しばらくの間、オルガに抱かれて泣いていた。

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