形の無い月(16) 始業 1

2021/10/02

二次創作 - 形の無い月

「で、ロザリーの提案にはどう返したんです?」
 ミレーヌとオルガは家に着くと、オルガがマリエッタの用意したコーヒーポットを傾けてカップに注ぎ、ダイニングテーブルのこちら側に差し出した。
 14歳の春の終わり、9月からは高校(リセ)に行けますよ、とオルガに言われた。
「え? どうして急に?」
「お父様から許可が出ました。あなたも秋には15歳ですから、ある程度は自分の身も守れるでしょう。小さい時は誘拐が心配でしたけれど」
 必要な時意外、オルガは「フューラー様」とは言わない。その名を口にするのを恐れているように。
「あなたは、合法の移民です。家庭学習でも一定基準の内容が伴っていれば、ちゃんと学校へは行けるのです。今まで定期的な報告や、入学手続きは色々面倒でしたけど。同じ年頃の人間との接触も、経験として必要ですし。ああ、それから1年生(スゴンド)ではなく2年生(プルミエール)からになりますよ。飛び入学ですね」
 なんだか良くわからないが、とにかくミレーヌは学校に行けるという事らしかった。
「家庭学習は、ロシア語、ラテン語以外はバカンスの前に終了にしましょう。学校に行くなら、残る時間はあまりありません。すでに先生方にはお伝えしていますが、お世話になった方々です。最後の時間には丁寧にお礼を申し上げてください」

 普通の少女のように学校に行ける、それは何と言う幸運だろうか。去年は父の都合が悪く、会えなかった。父の組織と、父からの愛情の矛盾を消化できずに抱えてはいても、会えないというのは寂しかった。けれどお父様は、ちゃんと考えてくれていた、娘は父からの思いが嬉しかった。
「ありがとう、オルガ! お父様にも手紙を書くわ」
 そう言ってオルガに抱きついたのは、2ヶ月半前。ミレーヌの身長は、とっくにオルガを追い抜いていた。自分が抱く形になっても、抱いてもらっているのはミレーヌの方だった。
 高校は安全のためか住居と同じ16区の私立高校だったが、オルガが車で送迎する。そして初日が終わった所だ。
「土曜は家庭教師が来るから断ったの。またの機会にね。でも周りが同年代って嬉しいわ。今まで大人ばかりだったじゃない。女の子同士でおしゃべりするのなんて、テレビドラマの中みたいで、ワクワクする」
 ミレーヌはコーヒーを飲みながら、嬉々として話し出す。
「それと、男の子がいるのが新鮮かな。家って女ばかりじゃない? 今までの先生だって、男性でもみんなすごく年上だし」

 年頃として当然の好奇心を見せる少女に、オルガは微笑んだ。12の誕生日以来、自分の立場を知った事でミレーヌには陰ができた。何を考えているのか、時折、ぼおっとしている事もある。物事を斜に構えてとらえる癖もついた。おそらく彼女が無くしたのは、年相応の素直さなのではないかとオルガは罪悪感を感じてきた。
 それゆえに、こうして普通の少女のような会話に微笑ましさを感じるのだ。しかし、それだけで済まないのもまた現実だ。
「今までに比べて、ずっと多くの人と関わるでしょうね。よく観察なさい、人間ってものを。小さな、学校という社会を。今まであなたに足りなかったものですから」
「観察しつつ、楽しむわ」
 上機嫌のミレーヌは、ふふふ、と笑う。
「ボーイフレンドを作るのもいいですよ。でもその時は教えてくださいね」
 オルガのセリフに、ぷっと吹き出した。
「紹介しろって事? まるでホームドラマじゃない」
 一気に「フツウ」の家庭の風景のようで気分が良かったが、返すオルガのセリフが奮(ふる)っていた。
「いえ、避妊の仕方を教えて、避妊具を与えます」

 ミレーヌは気管に入ったコーヒーで、ゲホゲホとむせた。ああ、いつものオルガだ。
「別におかしな事でもありませんよ。高校生ならあり得ます。愛情を感じ、男性と肌を合わせるのも、ひとつの経験ですから。たとえ変な男に引っ掛かったとしても、それも経験です。その後に生かしてください。まあ性教育はいずれ授業でもありますけど。避妊方法も教えてくれます」
 オルガの助言を、ミレーヌはため息と共に了解した。未だ恋を知らない少女は、自分にその感情が訪れる事を想像はできなかったが。
「性教育の授業の前に特定のボーイフレンドができたら、必ず教えるわ」
「それと来週から、日本語の先生が来ます。土曜日の午後、ロシア語の後です」
 土曜は午前中にラテン語とロシア語がある。午後に日本語が入るのなら、ほぼそれで土曜は時間が無くなるという事だ。新しい国の言葉には、その根底にある文化が表現の中に垣間見られ、嫌いでは無い。ただ、今回はその対象を疑問に感じた。
「どうして日本語? 習うなら中国語の方が、世界中で使える範囲が広いじゃない」
 ミレーヌは、唐突に出てきた言語を不思議に思った。
「お父様からのご指示です。何か極東地域には思い入れがおありなんでしょう」

→始業 2

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