形の無い月 (12) 秘密 3

2021/09/27

二次創作 - 形の無い月

「オルガは⋯⋯人を撃った事はあるの?」
 ミレーヌは、彼女の顔を見る事ができずに、机の上に戻した銃を見ていた。自分をハグする彼女の腕、自分と繋ぐ彼女の手、それが誰かの血に染まっていたと想像するのはあまりにもつらすぎた。
「私は、荒事あらごとに関わった事はありません。訓練場や練習場以外で銃を使った事もありません。マリエットも似たようなものです」
 その言葉は、信じられた。信じたいと思った。
「私、どうしてこの国に来たの? 他の国じゃなく」
「ネクライムのヨーロッパ支部がフランスにあるからだと思います。モスクワからも近いですし」
 聞きたくない答えだった。少女の感情は荒ぶった。感情を言葉に乗せてぶつけるしかない。
「私は裏の世界で生きるなんて、嫌よ! 普通の人生を生きたいわ! お父様のようになりたくないわ!」
 今ですら普通の生活とは言えなかったが、まさか犯罪組織の輪の中にいるとは思わなかった。そして父がその頂点にいるとは。お父様、あのお父様が!
 ミレーヌは数少ない父との会食を、それでも期待して、喜んでいた。生活はどうだ、どの教科が面白いのか、どんな本を読んでいるのだ、オルガからの報告書でお前の成績が良いのを嬉しく思っているぞ、そんな言葉で自分の事を思ってくれているのが、嬉しかった。たとえ書いた手紙に返事が来なくても。

「12歳なら、一般的には反抗期とも言えますが、親に反抗するのならグレますか? マリファナ吸って、お酒飲んで、万引きでもしてみます? でもこの場合は、そんな行為は⋯⋯」
 オルガの言葉を遮るように、ミレーヌが続けた。
「ブラック・ジョークよね。ばかみたい。笑っちゃうわ」
 父に裏切られた思いと、しかし母が父を悪く言う事は無かった記憶と、自分の未来と、様々な思いが頭の中をぐるぐると掻き回していた。
「家出は、やめてください。賢いあなたなら、わかるでしょう? その年で家出をした所で、行くあてはありません。仕事に付けるわけもありませんし、可能な仕事と言えば、年をごまかして娼婦をするくらいです。その前にネクライマーが見つけ出します」
 オルガの言う事は、正しい。ミレーヌには自分が何もできないのを知っている。
「将来を悲観しての自殺も、やめてください。死ぬくらいなら、精一杯、足掻あがいて生きてください。自分の生きる道を見つけてください。拳銃に弾を入れていないのも、発作的な自殺を警戒したからです」
 オルガは、いつも冷静だ。養育者としての立場で、必要で的確な事を口にし、ミレーヌを導く。こんな時でさえも。
「唯一可能なのは、警察に保護を求める事でしょうか。でもその時は、あなたはすべてを失います。お父様も、この生活も」

 そして私も、とはオルガは言えなかった。この可哀想な少女を追い詰めたくはなかった。
「今すぐ、何かが変わるわけではありません。ご自分の立場を知っておいてほしいだけです。可能性を考えるならば、あなたを隠しておきたいがために、フューラー様は接触なさらないのかもしれません」
 それは好意的に考えた可能性でしかなかったが、少女の心をで、癒す言葉にはなった。
「ミレーヌ。あなたがこの先、どんな人生を選ぶのか、選べるのか、わかりません。それでも私は可能な限り、あなたと共にいます」
 可能な限り、そう、今の生活を与えているのはお父様なのだ、とミレーヌは当たり前の事を思い知らされる。
「オルガは、いつまでそばにいるの?」
「いつまでとは、聞いておりません」
「そう。でも保護者なんだから、私が大人になるまではいるわよね」
「わかりません。いる可能性はあります」
 ミレーヌは、オルガを抱きしめた。12歳の体は背が伸びて、オルガと10センチも違わない。
「お願いよ。お母様のように、急にいなくならないで」
 抱きしめた体の体温を感じながら、オルガは思い出す。あの5歳の日の、少女の小さな震えた手を。
「可能な限り、あなたを守ります」
 言える言葉はそれしか無かった。

「どうか、今日は、ゆっくり休んでください」
 オルガが部屋を去ろうすると、抑揚無くミレーヌが声をかけた。
「ねえ、お父様の偽名、ルシアン・フルーリーって誰の名前? とっさに作った名前だと、自分でも忘れちゃうでしょ」
 現実を考えたくないのか、本質から外れた質問が出た。勘のいい子だ、とオルガは振り向く。
「フランソワーズ・サガンの小説、『ブラームスはお好き』の登場人物のひとりですよ」
「⋯⋯今度、読んでみるわ」
「あなたには、まだ早いですよ。おやすみなさい」
 部屋の扉が閉まっても、ミレーヌは痺れた頭を整理できないでいた。机の上に目をやると、これは隠しておかなければと、黒い塊を鍵付きの引き出しにしまった。
「とりあえず、寝よう」
 口に出して、自分に言い聞かせる。お母様は、いずれ私がお父様に引き取られていくのを知っていたんだろうか。お父様、ネクライム、今は何も考えたくない。今は眠ろう。眠って、明日考えよう。
 しかしベッドに入っても、すぐに眠れるわけでもなかった。遠い母の記憶、数少ない父との記憶、パリでの暮らし、そんな事が断片として思い返され、また涙を呼び、答えの出ない感情で脳が疲れて暗闇が訪れるまで、幾度となく、寝返りが繰り返された。


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