形の無い月 (14) 仕掛け 1

2021/09/27

二次創作 - 形の無い月

 12歳の誕生日の後に会食をセッティングしているという事は、私の反応を知りたいからだろう、ミレーヌは父の思惑を考えた。
 会いたくない、と言えば通る気はした。しかし、それでは現状から一歩も進まない。モヤモヤした行き場の無い感情を抱えて、日々を過ごすのは嫌だった。
「お父様に会うのが、怖いわ」
 レストランへ向かう車の中で、ミレーヌはそう口にした。ハンドルを握るオルガは、
「とって食われる事は無いと思います」
 冗談のように答えた。しかし彼女もまた緊張しているのが、張り詰めた空気で感じられた。外はもう暗い。
 車をパリ郊外のレストランの建物の入り口に、乗りつける。石造の重厚な建物のレストランは豪華だが、悪役の親玉に相応ふさわしいとも思えたのが、今のミレーヌの心境だ。体格のいいダークスーツの男2人が、降りる彼女を迎えようと待っている。
「それでは、私は駐車場の車にいます」
 そう言って、オルガの車は裏手の駐車場に去った。
 いつもと違う、父との対面だった。舞台設定は変わらなかったが、あまりにも多くの事が少女の中で変わっていた。飲み物とオードブルを置いてボーイが去ってから、娘は切り出す。

「オルガから、聞きました」
 父は、無言でシャンパングラスに口を付けた。ミレーヌの前にはジンジャーエールが置かれ、テーブルにはダイアカット模様が美しいガラスの一輪挿しに、赤い薔薇のつぼみが1本ある。
「私、普通に生きたいです」
 父の黒メガネの奥の目を覗くように、その顔を正面から見ながら、言葉を口にした。それが娘の、切実な願いだった。
「そうか。だがその話は、ここでするものではないな」
 父は左手を軽く上げ、ボーイを呼んだ。しばらく席を外してくれ、と言うとボーイは店の奥に消えた。
「お父様、今の⋯⋯組織を辞める事は無理ですか? 辞めて私と暮らすのは、無理ですか?」
 娘は自分の望みと共に、父に犯罪組織を辞めて欲しかった。たとえ組織のトップであろうと、その手が血にまみれていようと、父に対する思慕はある。
「ミレーヌ、ワシが組織を立ち上げて、もう半世紀近い。今さら、どう生きるすべも無い。世に数多ある企業と同じだ。組織が無くなれば、多くの者が路頭に迷う。そしてワシの目的は、まだ完成していない」
 黒いレンズの奥の父の目は、おそらくは有無を言わせない意志を持ってミレーヌを見つめている。そしてその答えは予測されていた。ミレーヌは、目を伏せた。

 父の一人称が「私」でなく「ワシ」になったのは、いつの頃からだろうか。それだけ時間が経ち、老いているのに、父は組織のトップとして存在していた。
「突然で驚いたかも知れん。だがミレーヌ、ワシにはお前しか肉親はいない。ナターリアが残した、たった1人の娘だ。2人きりの親子ではないか。ワシがどうであれ、お前に幸せになってもらいたい、それを願うのは父として当然の事だ」
 それは予測しなかった父の優しい言葉だった。2人きりの親子、そう、私にはお父様しかいない、少女の胸がつまった。
「身の安全を考え、最高の教育を与える、それが今の生活だ。お前は、まだ幼い。ひとりで生きていける年では無い。お前が大人になって、それでも父を捨てると言うのなら⋯⋯その時は仕方あるまい」
「お父様、捨てるだなんて、悲しい事を言わないで!」
「おお、父を想ってくれているのか。嬉しい事だ」
 父は満足そうに笑った。
「組織の事は別として、お前の願いは考えておこう。今しばらくは、あの家で暮らすようにな。すまんが今日はここまでだ」
 そう言うと椅子から立ち上がった。父が立ち去る前に、ミレーヌはまだひとつ言いたい事があった。
「あの⋯⋯お願いがあります。私が大人になるまで、オルガを動かさないでください。マリエットも」
 ん、と父は娘の顔を見つめた。娘の不安げな顔つきを認めると、
「そうか、上手くやっているようだな。いい事だ。そのまま、務めさせよう」
 そう言うと、父はボディガード達と共に去った。

 予想よりずっと早く、駐車場の離れた所に駐車していたフューラーのリムジンが動き出した。オルガは自分もエンジンを掛け、少し時間を置いてから、ゆっくりとレストランの入り口に車を移動させた。
 フューラーの車はすでに去った後だったが、その入り口ドアはなかなか開かない。何かあったのかと オルガが焦りを感じた時、ドアが開いてミレーヌが出てきた。ハンドバッグの他に、手提げの紙袋を持っていた。
 ミレーヌが助手席に着くと車をスタートさせる。ずいぶん短い会見だったが、彼女に落ち込んでる様子は無い。
「ごめんね。ボーイに食べられなかった食事の分、包んでもらってたの。きっと豪華よ! 帰ってから温めて食べましょ」
「ご機嫌ですね。来る時とは大違いに」
 陽気な少女の言葉に、オルガにも笑みが浮かんだ。
「お父様に、言ったわ。普通に生きたいって。私は大人になったら、多分、普通に生きられると思う。でもお父様と縁を切る事は考えたくないわ。その頃にはお父様だって、引退してる可能性だってあるわけだし。それにそれに、オルガとマリエットも突然いなくなる事もないわ! それは認めてくれたの」
「本当ですか。それは、良かったです」
 少し興奮ぎみに話すミレーヌだったが、オルガは冷静にハンドルを握っていた。大人になるまで、この子を守る事に変わりはない。何も起きずに月日が過ぎる事を願った。
「私、今まで以上に勉強するわ。だって今の私にできる事は、それしかないから」
 少女は、はしゃぎながらも成人の18歳まであと6年、と未来を見ていた。

→仕掛け2

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