翌日の朝は、沈黙の朝食となった。いつもより遅く、ミレーヌもオルガもダイニングで顔を合わせたのは8時過ぎで、その時間にはメイドのマリエットもダイニングの横のキッチンにスタンバイしている。普段なら2人の食事は終わり、マリエットの朝食の時間である。
宅配パン屋が毎朝届けるクロワッサンは2人の前に出ているが、オルガはそれに手を付けていない。今朝の彼女は顔をしかめてトマトジュースを飲んでいる。さっき、鎮痛剤を飲んでいた。二日酔いかな、と思ったがマリエットは口には出さなかった。今までこんな事は一度も無かった。ミレーヌが寝坊してくる事はあっても。そしてそのミレーヌは、何かを考えるように、無言で機械的にクロワッサンを口に運んでいる。
ごちそうさま、とオルガは席を立ち、
「部屋にいるから、何かあったら呼んで」
と、2階の自室に戻った。2階は3人の個室がある。残ったミレーヌが声をかける。
「ねえ、時間も遅いし、マリエットも、ここで食事をして。私はかまわないから」
ますます変な具合だが、彼女はその言葉に従った。
マリエットはミレーヌの斜向かいの椅子に着くと、いただきます、とまずはコーヒーに口を付けた。20代の彼女は、少しぽっちゃりした体に、メイドらしくいつも地味で質素な服で、オルガ同様にパンツスタイルを通している。化粧も薄く、ショートヘアの巻毛はミレーヌと似たり寄ったりのダークブラウンだった。
「ねえ、マリエットは今の仕事、どう思ってるの?」
ミレーヌの視線が自分に注がれているのに気づいていたので、そんな言葉が発せられても驚きはしなかった。どう答えるべきか考える暇も無く、その問いの本質が来た。
「昨日の夜、オルガに聞いたの」
不思議な朝の原因は、それか。マリエットは納得した。メイドとして一定の距離を置いている彼女でも、小さい頃から世話をしてるミレーヌには愛情がある。ましてオルガにとっては、身内のように扱ってきた娘だ。年こそ若いが、親子のような愛情があってもおかしくない。この子に現実を知らせるのは、さぞつらい仕事に違いないだろう。
「時間はちょっと長いけれど、満足しています。お給料もいいし」
クロワッサンをちぎりながら、答える。
「本当に? ⋯⋯ネクライム、なのに?」
ミレーヌの「ネクライム」は小さな声になった。犯罪帝国とか言ってた、組織として大きいのなら、それは麻薬や銃器の密輸、非合法なもっと色々な何か、殺人だってあり得るだろう。自分の父親が、それらを統べているのは信じたくなかったが、事実なのだろう。父の手はきっと血で汚れているのだ。自分の生活は、それらで生み出された金でまかなわれている。
「今は警護を含めたメイドですから。それにいつか、この仕事が終わったら、私は組織を抜けられます。秘密は絶対に墓まで持っていきます。そうでないと、私が墓場に直行ですから」
マリエットは静かにそう言うと、クロワッサンを口に運んだ。墓場に直行、ミレーヌは心にヒヤリと氷を当てられた。
「お昼は、消化のいい物を作ります。オルガ様の二日酔いの胃にやさしいのを」
「え、そうなの?」
子供のミレーヌには、それはわからなかった。ただの頭痛だろうと思っていた。
マリエットはクロワッサンを食べ終わると、コーヒーも飲み干し、
「多分。私はオルガ様の部屋に入る事は禁じられていますが、酒瓶の1本くらい、置いてあるでしょう。⋯⋯さ、先生の来ないうちに、今日の準備をしてください」
立ち上がると、マリエットはテーブルの上の食器を持ってキッチンに戻った。
オルガが二日酔いするほど酒を飲んだらしい事、それを察するマリエットが妙にも思わない様子、それは自分を大切に思ってくれている事の証なのだろう。ミレーヌは、自分が優しい女達の城に守られている事を、改めて感じた。
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