ミレーヌの指は白と黒の鍵盤の上で踊っていた。リストのコンソレーション第3番は、ささくれ立った心を癒してくれる。もう毎月のように父に手紙を書く事は無かった。
家庭教師は彼女の年令が上がるに連れて教科が代わり、数も増えた。ピアノと水泳は、ある程度覚えたので10歳の頃には辞めてしまった。今ではピアノはこうして気晴らしに弾く程度だ。
12歳のあの日以降、護身術の個人レッスンに通うのが追加された。これにはミレーヌ自身も必要性を感じた。
「銃の練習は、いらないわ。やっぱり、それを手にするのは躊躇するわ」
ピアノを弾くミレーヌは、後ろに立つオルガの提案を拒否した。すると彼女は、
「では基本情報だけでも、お知らせしておきます。ピアノはやめて、見てくれますか?」
と答えが返った。
指を止めて、椅子に座ったままオルガの方を向いて体をずらすと、彼女は体を屈(かが)み、自分の左足のスラックスの裾を上げた。脚の内側には足首より上に、ホルスターに収められた銃がある。
「動きやすいから、だけじゃ、なかったの⋯⋯」
ミレーヌは目を丸くして、その脚を凝視した。オルガはホルスターから銃を抜くと立ち上がり、教師のように、説明した。
「これは、あなたに差し上げた物と同じです。軽くて小さくて扱いやすい物です。危ないから弾は抜きますね」
そう言うと、弾倉を抜いてローテブルに置く。
「弾倉があると仮定して、最初に使う時は、まずここのセーフティを解除してください。それからこう、後ろにスライドさせます。そして離してください。これで弾が装填されます。あとは引き金を引くだけです。撃つとすぐに薬莢(やっきょう)がここから飛び出ます。2発目からは自動で装填されます。弾は6発です」
オルガは銃の部品をあれこれ指差しながら、教える。
「まれに弾詰まりして、自動でスライドしたこの部分に弾が引っかかる事があります。その時は、こうスライドを押さえたまま弾を取り出してください。戻せば、次の弾が装填されます。コピー機の紙詰まりみたいなものです」
あまりに普通に説明されるので、ミレーヌは怖さよりも、少しあきれた。コピー機なら、小さい頃に文具店にオルガと行った時、面白がって自分の手のひらをコピーしてもらった事がある。
「銃とコピー機を同列で語られても⋯⋯」
「同じですよ、機械ですから」
そう言うと、今度は両足を横に開き、膝を軽く緩めて重心を落とす。窓に向かって銃を両手で肩の高さまで上げて、構えた。
「撃つ時は、こうしてください。右手でグリップを握り、左手でこう右手を包むようにしてください。9ミリ弾なので、たいした反動はありません。狙いを付けるのは、前のここと、後ろのここ。2点照準を合わせますが、あなたが使う可能性があるとすれば、至近距離でしょう。狙う暇なんて無いと思います。相手の体に最低2発、撃ってください」
オルガは弾倉を銃に戻し、それを脚に収めた。
「次に⋯⋯」
「まだあるの?」
オルガはドアを開け、玄関ホールのインターフォンパネルの前に来た。ミレーヌも続く。
「まず、この緊急解除のボタンを押します」
緑に白地の文字で表示されたボタンを押した。そして、と言ってサロンに戻る。ソファーまで来ると、屈(かが)んで座面より下を指差した。
「ここ、中央を押すと開きます」
濃い茶色の皮張りのソファーの脚部は、座面の下からは少し内側に段差を付けて床まで続いている。オルガが座面近くの上部を押すと、その脚部に当たる部分が手前に開いた。細長く開いた脚部は空洞の中に、金属の大きな物体が2つ、小さな物が2つ、見えた。大きな方をソファー底に固定させている3箇所のマジックテープを外すと、オルガはそれを取り出す。
「サブマシンガンです。2丁あります。普段ここを開けるときは、必ず解除ボタンを押してください。開いて1分以内に解除しないと、エマージェンシーコールが警備に行きます。これは窓に取り付けられている振動センサーも同じです。ガラスが破られて1分以内に解除がなければ同様にコールが行きます」
あまりな展開に、ミレーヌは目の前に出された物に見入った。拳銃よりもずっと大きいそれは、Tの文字のようだった。
「この家は、まるでスパイ屋敷なのねえ」
現実を見せつけられて、オルガのそばに立ちつくしていたミレーヌは、ぼそりと口にした。
「見える所に武器を置いて、敵に奪われたらどうします? 私やマリエットの拳銃では、複数人には対抗できません。あくまでも一時しのぎです。サブマシンガンで数を減らし、生存率を上げます。護身術でも教わっているはずです。相手を倒すのではなく、一時的に相手の動きを止め、自分の逃げる道を探してください」
オルガは、手にしたサブマシンガンのストックの伸ばし方、安全装置をずらしてオートにする事、撃つ時にはしっかりとグリップのセーフティレバーも握る事、反動で銃口が上を向いてしまわないように左手でしっかりと前方のフォアグリップを握っておく事、そんな事を指差しながら伝える。
「まあこれは、反動が少ない方ですから。拳銃に比べたら断然重いですが。オートで撃てば5秒で弾切れです。相手が複数なら横にずらしながら撃ってください」
立て続けに説明された生々しさに、ミレーヌは血の気が引いた。オルガはソファーの空洞の中の小さな物体を指差して、
「代えの弾倉はまだありますが、あなたがそれを交換するほどの事にはならないでしょう。安心してください。あくまでも知識だけであって、銃やこれを使うのは、私かマリエットです」
あくまでも知識だけなのだと強調する。
「それから、ソファーの背もたれは中に防弾チョッキに使用する部材が入ってます。ある程度なら盾になります。背部の下側も同様に開きます。ソファーはそれなりの重量なので、肘置きの下、ここに小さなスイッチがありますから、これを押せば隠れたキャスターが解除されるのは知ってますよね。逆側も同じで連動してます」
「部屋を掃除する時のための、隠しキャスターなんだと思ってたわ。⋯⋯そのために、こっち側にソファーなのね」
玄関ホールから扉を開けたサロンの中は、奥に見える掃き出し窓の前に、右の壁側を背面にして、ひとり用の肘掛け椅子が2つ、テーブルを挟んでソファーがある。ソファーの背面にアップライトのピアノが壁側に置かれている。
「普通、この配置ならソファーは向こうの壁に置くわよね」
いざと言う時に動かしやすいように、ソファーの方を壁際で無く、部屋の中央部に置いてあるのだとミレーヌは認知した。
「わかった、精神的に疲れた」
どっと疲れが出た。
「大した事ではありませんよ。サバイバルゲーム好きのガンマニアのハイティーンなら、知ってる事です」
ミレーヌも、小さなプラスティック製の弾が出るオモチャの銃で撃ち合うゲームは、知っていた。テレビのニュース番組の特集で見た事がある。アジアの東端の日本で生まれたそのゲームは、若者に人気があるそうだ。フランスでは18歳未満の未成年には許可されてないため、大人達が興じていると伝えていた。
知識があっても、オモチャじゃなくて実物が家にあって、それを使うかもしれない状況とは違うじゃない! と少女は言いたかったが、口にした所で現実が変わるわけでもないので、やめた。
「レーザー銃というのも研究されていますが、実現するのは、まだ先でしょうね。それがあれば銃の反動とか、気にしなくてもよくなると思いますけど」
オルガは実行時を想定して、言う。そんなSFみたいな銃、実現するのかしら、とミレーヌは思った。
「それからダイニングの⋯⋯」
またオルガが話し出した。ため息と共に、ミレーヌは想像を口にする。
「椅子の座面に仕掛けてあるのね?」
「はい、座面の裏側を押してください。銃と代えの弾倉が」
少女は、もう何も言えなかった。ピアノで落ち着いていた心は、どこかへ行ってしまった。
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