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夜の爪あと (18) 個人タクシー

2025/07/15

二次創作 - 夜の爪あと

 路地からバス通りまで出てきたレティの後ろ姿を認めた。例によって地味なグレーのコートだが、この時間は頭にフードはかぶっていなかった。車のダッシュボードの時計は16時15分を表示している。帰宅路での地味な格好は、危険防止のためだろう。アルマン・ブーシェはバス停から30mほど離れた所に停めていた車をスタートさせる。彼女の横を追い越しざまに軽くクラクションを鳴らせ、スピードを落とす。路肩に車を停めて降りると歩道で彼女を迎えた。
「やあ、お嬢さん。個人タクシーで職場のホテルまで、どう? 『銀の猫』は庶民が行くには敷居が高いけど、送り届けるくらいならできるよ」
 小型のシルバーグレーのエアカーに彼女は一瞬驚き、次に笑顔を見せた。
「どうしたの? 急に」
 アルマンは助手席のドアに手をかけながら、口説いてみる。
「仕事の都合で借りたレンタカー。もう済んだから、あとはきみを送るくらいさ。乗りなよ」
 素直に助手席に乗り込んだレティは横目で彼の顔を見つめた。
「思ったよりも、見つけ出すのが早かったわね。どうせなら、お店に来てくれた方がうれしいのに」
 こずるそうな目は、アルマンを客候補として考えていたのかもしれない。

「店に行ったら、立場がふたりを隔てるじゃないか。ただの客にはなりたくないからね。まあ、あの夜が仕事帰りなら、バス停から近くの酒場。バスの起点からボクが乗るまでの間。飲み屋のある場所は、ある程度絞られる。黒猫シピにヒントがあるのなら、名前通りの『わがまま娘』、あとは『黒猫』、『猫』。店名にこれが含まれるとこ。きみの雰囲気から察するに場末の店じゃないし、高級店の方から調べれば、まあね。謎解きは楽しかったよ。猫で知り合って、きみのいる店が『銀の猫』って、すてきな偶然じゃないか」
 アルマンは答えながら、アクセルを踏んだ。彼女の顔は視界に入らなくても、魅惑的な声が彼の心をくすぐる。
「店の名前をそのまま教えたら、電話帳で一発じゃないの。それじゃつまらないもの。⋯⋯今日はいつから待ってたの?」
「きみが出かける時間を予想して、まあ、小一時間くらい? アパルトマンの前で待つのは、さすがに気が引けるし。未だにボクに電話もくれないから、きみの電話番号も知らないしね」
「あら、それは嫌味? まだ知り合ったばかりじゃないの。あなたの事、なんにも知らないわ」
「なにも知らなくても、車には乗り込んだよ。危険じゃないのかい?」
「まだ日も落ちてないのに誘拐なんてしないでしょ? 危険と言うのなら、この前の夜の方がよほどあなたにチャンスがあるじゃないの」
 アルマンは軽い苛立ちを込めた声で、レティをつついてみる。
「まあ、ね。ところで昨日の、映画に連れ立っていったスーツの男は、よく知ってるボーイフレンドってわけ?」

 ハンドルを握っているため、その言葉に彼女がどんな顔で反応したのかはわからなかった。だが返ってきた声には何の動揺も感じられない。
「街で見かけたの? ずいぶんな偶然ね」
「きみが古い映画が好きだって言うから、もしかしてここかなと映画館の近くで張ってた。水曜日だし、仕事休みの可能性が高い」
「冗談でしょ? あなた、そんな非効率な事しなさそうよ。名画座は他にもあるわ」
「ああ、バレた? 冗談だよ」
 赤信号で車が停車した。アルマンは彼女の方に体を向けて、少し声を落とした。
「実は、ちょいと情報拾ったんでね。きみじゃなくて連れの男の方、ジェローム・ラギエ。関係者なんで、仕事帰りに住まいとは別の方に行くから、ちょっとつけてた」
「なに? なんの事?」
 信号が青に変わり、再び車が動き出した。
「ちょっとした不正の匂いさ。仕事のネタにならないかと思ってさ。そしたら、きみと会って、映画にまで行ってるじゃないか。あんまりだよ。バカらしくなって、きみらが映画館に入った後は引き上げたさ」
 憮然とした表情で前を見る男は、スネた子供のようだ。
「あの人は、お店の常連のひとりよ。それこそ偶然に本屋で会っただけ。紳士で、真面目な人だと思うわ。仕事でストレスあるらしくて、ちょっと気分転換に映画に行きたかっただけよ。⋯⋯不正だなんて、その情報、間違ってるんじゃないの」
「紳士、ねぇ。仕事のストレスって、どんな?」
 自分とは程遠い階級のスーツ男に、いささかの嫉妬は感じるものの、今のアルマンには情報が優先だ。
「それこそ、お客様の個人情報よ。くわしい事なんて知らないわ」
「お客にしては、ずいぶん親しそうに見えたけどね」
 もちろん、これは皮肉である。

「じゃあ、お友達という事で納得しておいて。そうそう、今日バス停までの間で、シピが歩いているのを見かけたわ。名前を呼んだら少しだけ止まってこっちを見たけど、すぐにどこかへ行っちゃったわ」
「ああ⋯⋯あの時の写真、今は持ってなかったな。今度、見せるよ。シピは誰かの飼い猫ってわけじゃないみたいだからね、慣れるのに時間がかかるのさ。多分、野良猫として生まれてきたんだと思う。警戒心が強いんだ」
「慣れれば、そのうちに撫でさせてくれるかしら」
 アルマンは、自分にはつれないくせに猫に関心を寄せているレティの様子に苦笑してしまう。
「そういう情熱は、ぜひ横の男に向けてほしいと思うんだけど」
「猫と男じゃ、まるで違うじゃないの。あ、そこでいいわ」
 ホテルの入っている複合商業施設の建物、セーヌ川沿いの裏手に車を回すと、彼女の言葉に従い、従業員用とおぼしき入り口の近くに車を停めた。ありがとう、と彼女はシートベルトを外しドアハンドルに指を通したが、それを引く前にアルマンは彼女の腕を掴んだ。
「ちょい待ち。ボクもスーツ同様、お友達かい?」
「そうね⋯⋯そんなところ」
 答え終わる前に、レティの体を抱き寄せる。拒絶の抵抗は感じなかった。間近になったふたりの顔は無言で見つめ合い、アルマンは唇を寄せたが、軽く顔をそらした彼女の唇の着地点は彼の頬だった。目標からずれてはしまったが、柔らかな唇は男の情熱を掻き立てた。
「次の休みはいつ? デートしようよ」
「せっかちな人ね。⋯⋯火曜ならいいわ。映画でも行きたいの?」
「お友達のスーツ男と同じはご免こうむりたいね。ドライブしよう。またレンタカーを借りるよ。12時に迎えに行くから」
「せめて13時にして。私だって睡眠が欲しいわ」
 そう言うと、彼女はドアを開けて車を降りて行った。まるでティーンエイジャーのようだが、とりあえず約束はできたし、アルマンの気分は上々だ。今日こそは口笛を吹きながら、アクセルを踏んだ。
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