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夜の爪あと (15) 夜行バス

2025/07/04

二次創作 - 夜の爪あと

 パリ中心部から郊外へ向けた夜行バスノクティリアンの中は、深夜営業を終えた飲食店の従業員や、酒の匂いをさせた酔い客で5割ほどが席を占めていた。深夜2時半、バスに乗り込んだアルマンは空席を探したが、客の中に見覚えのある女を見出し、その右隣の空いていた席に腰を下ろした。
「やあ、また会えたね。覚えてる? シピのカメラマン、アルマンだよ」
 彼の言葉に女は無視まではせず、かといって彼の方に顔も向けずに「そうね」と答えた。道端で出会ってから3日ほどが過ぎていた。彼の名刺は彼女の手の内にはあるものの、そこに記された電話番号に彼女からのコールはなかった。
「うん、いくら近所に住んでいても、なかなか出会えない。こんな偶然はラッキーだ。僕も仕事帰りだよ、まあ少し飲んだけどね」
 今日の彼女はグレーのフード付きのコートで頭を覆っていた。髪は後ろでまとめているようだ。コート同様に地味な色味のスラックスで、化粧まで地味だ。ただ耳たぶの赤石のピアスが小さな色として目に残った。そんな女からは酒の匂いがした。
「酔い客の相手は、大変?」
 彼の言葉に、初めて女の顔は彼に視線送り、尋ねる。
「どうして、そう思うの?」
 その声にさほどの驚きは無く、彼がどう推察したのかが興味あるような目をしていた。

「出会った日は火曜で、まだ5時前、仕事はデスクワークではないだろうと思った。まあ有給を取っているという可能性はあるけれど、このパリならば観光業の可能性の方が高い。観光産業、それこそ数多あるけど、あなたの指先はキレイだ。手入れがされていて、短く揃った爪は透明のマニキュア、でも指輪は無し。指先が目に付く職種じゃないかな。で、今の顔を見れば酒で上気もしてない割に、酒の匂いがする。こんな時間まで飲んでいるくらいなら、もっと赤い顔をしてるでしょ。客じゃなくて、従業員とか、施設側。職場で着替えてきたのなら、髪に付いた匂いかな。この時間ならレストランじゃ無いし、酒場、指先、なら、ウェイトレスかバーメイド? 指輪無しだから、高価なグラスを使うハイ・クラスの店」
 アルマンの言葉に女は唇の端を軽く上げた。
「面白いわ、あなた」
 肯定も否定もしない答えだが、まずまずの反応だ。
「どう? せめてバスを降りてから送らせてもらえる?」
 女は彼の申し出を了承した。つまりは少しは彼に興味を持ってくれたということだろう。
 ふたり並んで歩きながら、アルマンは次の提案を試みる。
「次の休みの日とか、食事でもどうだろうか? 僕はフリーランスだから、きみの休みに合わせられるよ。そうだ、名前を教えてよ」
「次の休みの日は、映画に行くわ」
 棒読みのように女は答えた。
「いいね! ティーンエイジャーみたいだけど、映画に行って、その後に食事しよう」
「いいえ、私の好きなのは20世紀の古い映画よ。ひとりで観るのが好きなの」
 あっさりと断られたが、この程度でひるむ男ではない。断りはしても、女からは適度な好意が感じられた。そうでなければ、部屋まで送るのを許しはしないだろう。今はまだ距離を測りかねている、という感じだろうか。

「ひとりで? じゃあ、今は特別なパートナーはいないって事だね。ラッキーだな」
 アルマンはあくまでも前向きに話しかける。
「お店に来たなら、お客として丁寧に接客してあげるわ」
「店? やっぱりね。どこの店? 店の名前は?」
 やがてひとつのアパルトマンの集合玄関ドアの前で、女の足が止まった。バス停からは5分かからないくらいだった。
「もう、着いたわ」彼女がドア横のデジコード(暗証番号式の鍵)を、彼に見えないように背中を向けて入力する電子音がした。女は少し体を振り向かせ、今夜はここまでとでも言うように「ありがとう、おやすみなさい」と、ふくよかな唇が終わりを告げた。どうやら店の名前は教えてもらえそうになかった。
「そうだね、おやすみ」
 アルマンは残念そうに応える。カチッと音がしてドアの鍵が解除され、重そうな古びた金属ドアを押して、女は体を中に入れた。ドアの向こうの彼女はアルマンの目を見つめて少し微笑んだ。
「店の名前は、黒猫シピ)にでも聞いてみたら? 私はレティよ」
 閉まりかけたドアの隙間から女の声がして、彼がそれに応えるよりも前にドアは閉まった。最後になぞなぞか、つまりは試されているわけだ。それでも彼女は名前を教えてくれた。悪くない、とアルマンは軽く口笛を吹きそうになって、やめた。こんな深夜じゃ、通りに響きすぎる。

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