形の無い月 (33) 部屋 2

2021/10/21

二次創作 - 形の無い月

「ボクは高校を卒業する頃、オルガに尋ねたのさ。それまでも色々と納得できない事があったから。中学生の時は漠然と、高校生にもなれば、明らかに。教えてもらった雇い主の会社は、美術品や宝飾品、家具とかの貿易会社だったけど、私立の全寮制学校に入れるほど余裕の高給が支払われるとまでは、思わないだろ。生徒は裕福な家の子が多かったし。本当は何をしているのか、問い詰めた。最初は、実は借金をして、と答えたよ。どうして借金をしてまで、ボクを遠ざけ、仕事をするのか、おかしいじゃないか。⋯⋯結局、犯罪組織にいる事を認めた」
 ヴィクトルは、空になったグラスを手に、ミニ・バーに戻る。今度はウォッカの小瓶を開けた。
「オルガが組織に入ったのは、ナイトクラブの頃からだ。どんな経緯いきさつで、そうなったのかは、知らない。それは話さなかった」
 冷蔵庫のジンジャーエールはもう無かったので、オレンジエードを注ぐ。椅子に戻ると、ごくごくと飲んだ。
「理由は色々想像できたけど。オルガは麻薬はやってない。でもマリファナくらいはやったかもしれない。悪い男に引っ掛かったのかもしれない。でも多分、ボクがいた事が大きいと思う。オルガの勤める店は、そんなにガラのいい店ではなさそうだった。給金だってタカが知れてる。ボクを育てていくために、多分ね⋯⋯ボクはまた、自己嫌悪するわけさ」
 彼が大学1年の時に留年したとは聞いていた。その悩みが学業に響いたのだろうかと、想像できた。

「そんな仕事、辞めろと言った。組織を抜けろと。でも言うんだ。今の仕事は女の子を育てているだけ、悪い事をしているわけじゃない。組織は抜けられない、あの子をひとりにする事はできない、とね。小さな、可愛い子だそうだ。ボクは⋯⋯ゴメン、キミに嫉妬したよ」
 ミレーヌは冷静ではいられなかった。湧き上がる感情が、目から涙を落とした。握り込んだ自分の手の平に爪が当たって、痛い。だが痛みこそが今の自分に相応ふさわしいと思えた。
「ごめんなさい。私は、自分の事しか考えて無かった。自分が嫉妬はしても、される存在であるとは、思いもしなかった」
「キミのせいじゃないよ」
 ヴィクトルは、また同じセリフを言った。
「キミのせいじゃない。これが人生さセ・ラ・ヴィ! いい言葉だよね。誰が悪いわけでも無い。そして、ボクも人生を変えたのさ」
 彼は、肘から先の両手を軽く広げてみせる。
「大学を卒業して院に進み、やがてネクライムに入った。オルガひとりに背負わせるのは、もう嫌だった。自分の研究資料を持って、オルガの雇い主に会いに行った。出てきたのは秘書だけどね。組織で研究者になりたい、と自分を売り込んだ。姉を手伝いたい、とも言った。オルガには事後報告で、怒って悲しんでたけど。まあ、そうだよね。で、その結果、キミに出会った」
 彼の視線が、ミレーヌの瞳をとらえた。
「陽気なキャラクターは、そうだな、少し演技は入ってるか。まあ地も、あんなモンだけど。なるべく明るく振る舞わないと、キミによろしく無い感情を持つ事を、勘づかれるかもしれないから。でも授業は楽しかったよ。キミは素直で勉強熱心だし、マンガの話もできた。それに⋯⋯何となく、自分と似たものを感じた。何となく、ね」
 そうして、彼はグラスを傾けた。ミレーヌも、自分の飲み物に口を付ける。

「蚤の市の時も、オルガは私が話すよりも早く、知っていたの? あの日は日曜日よ」
「いや。あれは本当にボクが興味を持って、あそこに行っただけ。女友達といるキミが見てみたかったというのもあるけど。あの日はオルガはひとりで、のんびりしてたよ。互いに個別の事は話さない。記憶が混乱しちゃうからね。ちょっとした事があったけど、ミレーヌに聞いてと伝えた。事前に知ってると、驚く様子が嘘くさくなる可能性がある。オルガに演技力がどのくらいあるか、わからないし」
 ミレーヌは、あの時のオルガの心配顔が演技じゃなくて良かった、と思えた。
「授業は楽しかったわ。⋯⋯あなたは『パン屋』なの?」
 いや、と彼は頭を振った。
「ボクはパン屋とは別部隊だ。修士マスター修了して、大学は去った。博士ドクトラは嘘だよ。今はネクライムの研究室で、高強度の装甲皮膜を研究してる。ネクライムに入った時に、アパルトマンは引っ越した。実は、あの家の近所に住んでる。16区は無理だからそこに接したブローニュ・ビヤンクール地区にね。でも緊急コールは、わかるようになってる。これで」
 彼は左腕を上げてミレーヌに見せた。デジタル式の腕時計は、色々機能がありそうだ。
「パリの街はバイクの方が、機動性がある。あの時、早く着けたのは、そのお陰もある。別にネクライム用に買ったわけじゃ、ないけど」

「あの後、どうなったの?」
 あの夜、このホテルの部屋に来て以来、ミレーヌはホテルから出ていない。衣服や化粧品は、新しい物が用意されて小さなスーツケースごと部屋に運ばれた。食事はすべてルームサービス、さすがに2日目の日に部屋の清掃で、ホテルのティールームに移動はしたが。テレビのニュースは、怖くて見られなかった。
「警察に通報は無かったよ。あの辺は高級住宅街だから、敷地が広い。今時はパリだってエアコンがあるから窓は閉められてる。バカンス期間だから留守の家もある。7月14日キャトーズ・ジュイエのイベントで留守もあるだろう。ちょうど花火で音がうるさかった。ま、奴らもそれを狙ったんだろうが。この3日間の調査で分かったのは襲撃した男2人、下町のチンピラだった事。体の刺青とかあったし」
 それは、顔でなく、刺青で人物を特定したという事だろうか。自分のやった事に悪寒が走り、これ以上は聞く気になれなかった。
「ネクライムがあるからって、すべての小悪党が入っているわけじゃない。外に車が残ってたが、運転手役はいなかった。普通、拉致なら付けとくもんだが。つまり、プロっぽく見えてプロじゃない感じだ。きみの聞いた奴らのセリフも、不可解だ。依頼されて、愛人にするために家に押し入り、女を拉致って、おかし過ぎるだろ。つまりは、きみを誰かの愛人と思って、拉致する予定だった、が正解じゃないかな。この場合の誰かは総統だけど。奴らの情報が雑すぎる。とすれば、依頼者は他の組織で、あの家の警備を知るための捨て駒として使われた、という見当がパン屋からの情報。女2人の家、さっさと実行できそうに思えるだろう、チンピラ達なら。手付けの前金のせいなのか、最近は金回りが良かったそうだ。でも理由は絶対に教えなかったってさ。人数増やせば、頭割りで金が減るからね」

 ミレーヌも喉が渇いた。涙ばかり流すからかもしれない。ジンジャーエールを飲んだ。飲んで、心を落ち着かせ、言葉にする。
「私、人を殺したわ。あの男達を殺したわ」
 何度も心の中で考えていた単語は、そうして口に出してみれば、何よりも自分を追い詰める。ベッドの中で泣き疲れてウトウトしていても、自分の体に残ったサブマシンガンの反動が思い出され、床に転がった男達の死体を浮かび上がらせる。声にならない悲鳴を上げて、ベッドから起き上がり、バスルームに駆け込んでは吐いた。胃に吐く物が無くても、彼女の体は自分の罪を吐き続けた。そんな日々でもあった。
 彼は目を伏せ、もう一度、目を上げた。
「あれは、仕方が無かったんだよ。命の危険があった。オルガが死んだのも、仕方無かった。ある意味、それは覚悟してた。ボクも、オルガも」
 それは予想された答えであり、納得する答えであった。しかし、事実は事実として目の前にある。

「彼らだって、家族や恋人や友人がいたかもしれない。嘆き悲しむ人がいたかもしれない。でも、私はあの時、選んだの。そして警察に自首しようとも思わない」
 ミレーヌが自首するならば、すべてが明るみに出る。自分が組織のトップの娘である事、オルガやヴィクトルが組織の構成員である事、あの家に違法に銃があった事、組織そのものが公表されてしまう。たとえそれが自衛のためだとしても、自分が殺人を犯した事に変わりは無い。それを正当防衛として、警察や世間は認めるだろうか。許すだろうか。
「蚤の市の、男。あの男が死んだと知った時、私はいたむ気なんか起きなかった。むしろ、ほっとしたわ。あれが本当に事故であったら、喜んだと思う。つまり、そういう事よ。人間は誰だって、心にドス黒い感情がある。それを認知しているか、認知しようとしないかの違いで」
 男は、つらそうな目でミレーヌを見つめた。彼女は、もう泣いていなかった。彼が陽気な日本語教師の顔を捨てたように、彼女も富豪のお嬢様の顔を捨てていた。彼は事件を締めくくるように口を開く。
「いずれにしろ、誰かに場所を特定された。もう、あの家は使えない。内部をきれいに直して、地下の練習場もワインセラーに戻して、売りに出されるさ。キミは、どうするの?」
「ラテン語とロシア語の先生には、父が日本で病気のために緊急手術になったので、私も看病と介護のために行く事になったと伝えられたそうよ。お別れができなかったのが残念だわ。後で手紙を書いて、日本から投函してもらう。大学も辞めるわ」


終章まであと3回 →部屋 3 

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