「おい、ブロンドは傷つけるな。大事な愛人だぜ。
「若すぎねぇか」
「ジジイは若ぇのが好きなんだろうよ」
また男達が話している。愛人って、何の事だ? 私が誰の愛人だって? 男達の目的が自分の拉致であるらしい事がうかがえたが、ミレーヌは、この大事な時に自分がどう行動すればいいのか、決められない。拉致された自分がどうなるのかは想像したくもない。
オルガの顔に汗が吹き出し、苦悶の顔でゼイゼイと浅い息をしながら、ソファー下部の空洞にあるサブマシンガンに、必死に手を伸ばそうとする。
「セーフ⋯⋯ティ、外して⋯⋯」
小さく力の無い声で、途切れ途切れにミレーヌに訴える。彼女が重症なのは明らかだ。
襲撃の可能性を前提として暮らしていても、それが現実に起こる可能性は低いと思っていた。こんな血の匂いのする部屋をリアルに想像していなかった。
拉致が目的なら、自分が撃たれる可能性は無いだろう。だがこのままオルガを置いて玄関から逃げる事は選べない。たとえ彼女がそれを望んでいたとしても。ミレーヌは涙と共に、オルガを抱きしめる。彼女を守りたい。男達に、怒りと憎しみの黒い感情が湧き上がる。
警護の者達が来るまでに時間稼ぎをしようにも、サブマシンガンは5秒しか保たない。その5秒で身を守るためには、自分が決断するしか無いのだ。
彼女は固定のマジックテープを外して、ずしりと重い、金属の塊を取り出す。
そして、考える。頭の血管がドクドク波打つのが、わかる。
「時間が無ぇ、早くしろ!」
「おい、出てこいよ。銃で撃たなくったって、ブン殴られるのは痛いぜ」
男達はソファーに近づいて来るようだ。セーフティを外して、しっかりとグリップを握った。深呼吸をして、サブマシンガンを構え、一気に立ち上がり、無言で引き金にかけた指に力を込めた。
男達は突然目の前に現れた銃器に驚いたが、次のアクションに移る前に、体に無数の銃弾を受ける事になった。防弾チョッキを着ていても、複数の弾を受けた男達はその衝撃に前のめりになり、頭を垂れる。
頭だ、頭を狙え。最初に当たった所から見当をつけて、男達の頭部を中心に、左右に銃口を向けるように、ミレーヌは体を動かした。
『これは反動が少ない方です』
オルガは言っていたが、今、自分の腕が受け、体まで伝わるこの衝撃が、大きいのか小さいのか、ミレーヌにはわからない。
『反動で銃口が上を向いてしまわないように、左手でしっかりとフォアグリップを握って』
前側のフォアグリップを必死に握る。銃声が連なり、飛び出した薬莢が、いくつもの金属音を立てて、床で跳ねる。鼓膜には、発射の破裂音がビリビリと響く。窓ガラスの割れる音もする。火薬の匂いと、煙が周囲に白く広がる。
オルガを撃たれた怒りと、くやしさと、憎しみと、恐怖が、感情がいっしょくたになって、男達を睨みつけながら、しかし涙は止まらずに、その引き金にかけた指を緩めない。
5秒が、終わった。もう弾は出ない。銃口からは煙がまだ出ている。煙で、部屋が白んでいた。ひとりの男はうつ伏せに、もうひとりは横向きに倒れている。床には割れたガラス窓のカケラと共に、血しぶきもあちこちに認められた。
動かない男達に、ミレーヌは、絞り出すように、つぶやく。
「誰が、愛人よ。⋯⋯私は、フューラーの娘よ」
それは初めて自分で口にした、逃れようの無い、現実だった。
重たい金属の塊を床に落とし、オルガのそばにしゃがみ、叫ぶ。
「オルガ!」
胎児のように膝を曲げて、脚を抱え込むように床に横たわる彼女は、目を閉じたまま、返事をしなかった。頭の後ろでまとめてある髪も、乱れていた。仰向けに体をずらそうとすると、頸部のあった床に、赤い血が広がっているのが目に入る。呼吸で上下するはずの胸が、動いていない。
「オルガ、オルガ」
名前を呼ぶ声が涙声になっていた。青白い顔の彼女の、右の、肩と鎖骨の上と胸、3カ所に銃傷がある。その内、鎖骨の上からひどく出血していた。震える自分の指をオルガの手首に当てる。脈は感じられなかった。少し場所をずらしてみても、やはり脈は無い。
ダメだ。穴が空いた体では胸骨圧迫もできない。そんな事をすれば、さらに血が噴き出るだけだ。早く病院に搬送しなくては。
銃撃のせいで、耳が痛い。テレビから、外から、まだ花火の音が続いているのに、音が遠くに聞こえる。
外に、エンジン音があったかもしれない。そして玄関ベルが鳴った。ミレーヌは、その音にびくりと震える。オルガの落としていた拳銃を手にして、玄関ホールのインターフォンを覗くと、モニター画面の中にヴィクトルがいた。
『こんばんは、ヴィクトルです。約束通り、花火の写真、撮ってきましたよ』
遠いながらも、インターフォンから流れる彼のその言葉を、頭の中で噛みしめる。言葉は、散らばったジグゾーパズルを組み立て、答えを教えてくれた。
彼女は言葉の示す意味を、理解した。
玄関錠を外すボタンを押し、玄関まで行き、ドアを開ける。扉の中にミレーヌを見たヴィクトルは険しい表情になった。涙に濡れたミレーヌの顔に眉をひそめ、その姿に上から下まで視線を通し、だらんと降ろした彼女の右手にある拳銃と、指先や手の平に血が付いているのを素早く認めた。固い顔で、ミレーヌの耳元でささやく。
「賊は?」
聞き取りにくくても、言わんとする事はわかる。
「死んだ、サロンで。オルガを助けて」
抑揚無く答えたミレーヌに、ヴィクトルは、口を耳元から離し、彼女の右手から銃を外した。
「キミは怪我して無い? 大丈夫?」
虚ろな目をしたミレーヌがうなずくと、何も言わずにサロンに向かう。
ミレーヌの視界が、また涙でぼやけた。それは次に目から流れ出て、頬にいくつかの筋を作る。あなたもネクライマーだったのね、出てきた答えに涙が止まらない。
開け放したままのサロンのドアの向こうから、オルガの名を呼ぶヴィクトルの声が聞こえた。それは悲鳴にも似ていた。
血と火薬の匂いのするサロンに戻ったミレーヌは、オルガのそばにしゃがみ込んだヴィクトルの背中を見つめる。
「もう、死んでる。⋯⋯オルガはボクの姉だよ」
ミレーヌに背中を向けたまま、ヴィクトルは力無く、そう言った。
「ボクはヴィクトル・クーロンじゃなくて、ヴィクトル・ワトーなのさ」
オルガが、死んだ。ヴィクトルは、姉だと言った。ミレーヌは力無くオルガの側に膝と両手を床につき、感情は口から叫びとして外に飛び出した。
「ああ⋯⋯ああ、あああああ!」
それは外からもたらされた母の死と違う、目の前で消えた命だ。握っていたはずのオルガの手は、自分から離れ、遠い闇の中に消えてしまった。どうすれば良かったのか、どうすればオルガを守れたのか、どう生きれば良かったのか、選択を間違えたのか、正しい答えはどこにも無い。結果だけが目の前にあり、絶望の中、ただ泣く事しか、できない。
やがて、何台かの車が表に来たようだった。ヴィクトルは立ち上がり、玄関ドアを開けて、スーツ姿の男達を4人、迎える。2階のリネン扉から持ってきたのか、ヴィクトルがベッドカバー類を手にしてきた。死んだ男達とオルガはそれぞれに包まれた。この家のどこに何があるか、彼は知っていた。
また玄関チャイムが鳴る。インターフォンを確認したヴィクトルが、放心状態のミレーヌに声を掛ける。感情の無い彼の声は、ネクライマーとしての顔から発せられた。
「ミレーヌ、今夜はホテルで休んで。表に迎えの車が来てる。後で連絡する」
彼女は無言でうなずくと、洗面所で手に付いたオルガの血を洗い、自室で血のついた服を着替えた。迎えの男と共に車に乗り込む。もう花火は終わっているのか、何も聞こえない。
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