満月のアリア (27) 帰還

2022/01/01

二次創作 - 満月のアリア

 深夜、ルードビッヒ一行が、ミレーヌを連れてネオ・トキオに戻った。本部ビルのエレベーターから降り、彼女は元の場所に帰ってきた。長い1日だった。エレベーターに同乗したのはルードビッヒの他にジタンダ、ウルフとキャットである。
「横になりたいわ」
 口に出したミレーヌに、ジタンダが胸を張って言う。
「ルードビッヒ様には、ミレーヌ様の部屋を処分するよう言われておりましたどすが、なんの! このジタンダがお戻りを見込んで、ちゃんと守っておりましたデスダスどす」
 彼は、ショックから立ち直ったらしい。
「ありがとう。世話をかけたわね、ジタンダ」
 礼を言うミレーヌに、ジタンダも涙目で「ミレーヌ様ぁ」と笑顔を返した。
 歩けるか、と尋ねたルードビッヒに、彼女は大丈夫よと答えたが、彼は体を屈め、彼女の膝裏と両脇に自分の腕を通し、その体を抱き上げた。
「大丈夫って言ったじゃない。降ろして」
 突然の事に、周りの目にミレーヌは抵抗したが、
「暴れるな。別に初めてでも無いだろう」
 しれっとした顔でルードビッヒは答え、歩き出した。それは部屋の中だけの事よ、とは彼女もさすがに口にはしない。その姿はネオ・サッポロでのウルフの言葉への牽制の意味も含めていたが、重々承知のウルフとキャットは目のやり場に困った。失礼致します、と2人のスティンガー達は本部司令室へと去った。ルードビッヒは、そのまま彼女を部屋へ送り届ける。ジタンダがあわてて先回りし、ミレーヌの部屋の扉を開けて主人を通す。無論、開けた後は、閉めるのだ。

 ルードビッヒがミレーヌを部屋の中に降ろすと、
「もう、いいわ。ひとりで休めるわ。血のついた女の姿なんて、見るものじゃないわよ」
 彼女はそう言い、かげりのある顔で笑う。そうか、と応え、
「明日は、ゆっくり休め」
 女の心を気遣い、それ以上の手出しはせず、彼は部屋を出る。美しい獣は戻ってきた。彼は満足し、今はこれで十分だった。
 残されたミレーヌはバスルームで熱いシャワーを浴びて、1日の疲れを流す。まだ少し出血はある。勢いよく出た熱いシャワーを顔に当てると、火照るまで浴び続ける。涙も、血も、流した。
 バスローブ姿で、部屋のミニ冷蔵庫からジンジャーエールの缶を出し、グラスに注ぐ。シャワーで温まった体に、炭酸がしみた。そういえば昼食以降、何も食べていなかった事を思い出す。食欲は無いが、口が寂しい。ドレッサーの上のタバコの箱が目に入る。10日以上禁煙していた。
 箱から1本抜くと口にくわえ、火を点ける。久しぶりに煙を肺の奥まで吸い込むと、味わって、吐いた。紫煙があたりに広がり、漂って、消える。
「美味しいわね」
 言いながらも、部屋はにじんで、ぼやけた。

 ひとつ後のエレベーターで上がってきた小沼は、ウルフの待つネクライム本部司令室に通された。産婦人科医の駐車場に後から入ってきた車、そこから降りた、金髪の若いやさ男が総統だと聞いた。あんな若いのが大丈夫かよ、と思ったが、今さら後にも引けない。
 そして医者から出てきたモニカは、その若い総統と一緒に、後からの車に乗ってしまった。小沼とシャークが居る車には、向こうの車に居たホークという男が移って来た。動き出した車は、どことも知らない場所で止まり、何だかよくわからない機体に乗り移らされる。それはヘリじゃなくて垂直離着陸機、と言うらしい。内部は無骨で、旅客用という感じじゃ無い。向かい合うシートになっていたが、モニカと総統は並んで座り、その周りを例のボディガードのような男達が固め、小沼は端に座らされた。
 ホークが小沼の住所を聞き、それを通信機で誰かに伝える。証拠隠滅だと聞かされた。あとは時折、通信結果の報告があるくらいで、無言の時間が続く。何か尋ねるのも憚(はばか)られ、小沼は寝たふりをしたが、実際、今日の事で疲れ果てて眠ってしまった。着陸の振動で目が覚めたが、再び車に乗り換えがあり、そして、今ここに居る。
 この部屋はバーカウンターがある。ここはバーなのか? そのわりには洒落た机や、エグゼクティブテーブルもある。よくわからない場所だ。窓からの眺めはいいがと、外の夜景を見ながらキョロキョロしている小沼を、ウルフが見ていた。クライドもナツミも、この珍客を遠巻きに見ている。ベアーは、何やらネオ・サッポロでは面白そうな事があったようだと勘づいて、後でキャットに話を聞こうと思っている。

 ミレーヌのオマケに付いてきてしまった小沼だが、この男があの銀行で立てこもりをしなければ、ルードビッヒが動かなかったわけである。主人に動くきっかけを与えた男、と言えなくも無い。あのまま何も無ければ、再会の可能性はどうだったか。
 ある意味、この男は功労者と言えるのだろうか、ウルフは妙な気分になる。別に運命論者では無いが、偶然の積み重ねに今は感謝しよう。しょせん、男と女の事はタイミングだからな。
「そうだな、明日にでも人事に相談するか。機材のメンテナンス要員とかなら、問題無いだろう。今夜は、ジタンダの部屋でソファーででも寝てくれ」
 はあ、と小沼は気の無い返事をした。良くわからないが、警察に捕まる事は無さそうだ。
 その後、小沼の住んでいた部屋は、北部支部の者によって引き払われていた。それは小沼のためと言うより、事件そのものに関わる事案を隠匿するためだ。無論、ミレーヌのマンションのスーツケースも回収された。
 小沼は配置された部署で、同僚のネクライマーに昼休みに聞いてみた。
「なあ、ミレーヌサマって誰だ?」
「あ? 知らねえのか。ミレーヌ・サベリーエワ様の事だ。総統ルードビッヒ様の片腕だよ。美人って話だが、俺は見た事、無いけどな」
 総統の、片腕。ああ、そうか。やけに落ち着いた、肝の座った女だと思ってたが、そういう女か。それがなんで、あんな所にいたんだ? ああ、ダメダメ、考えるな。そりゃあ確かに、命が惜しけりゃ他言無用ってやつだ。ちょいと、いや、かなりいい女だったが、忘れよう。それが身のためだ。小沼は、新しい職場で人生をやり直し始めていた。

 ドウナイ銀行立てこもり事件は、結局、逃走した犯人が消えた事で迷宮入りしそうである。犯行時間内、なぜか途中から使用不能になった防犯カメラ。拳銃、現金の入ったナップザック、発信機を仕込んだ金貨も、用意された車と共に発見されたが、犯人も人質も、どこかへ消えた。
 銀行駐車場に残されていたエア・バイクは盗難車だった。駐車場に向けた防犯カメラに、バイクから降りてヘルメットを帽子に替える、犯人とおぼしき男が映っている。そして消えた人質、清水モニカ。
 彼女はネオ・トキオから転出、ネオ・サッポロに転入届を出している。元の住所は、すでに空き家で、人が住んでいたのは10年以上前だと言う。一方、ネオ・サッポロ現場付近のマンションを契約したばかりなのも、わかっている。だがそれ以降の情報が無い。部屋は引っ越し前で何も無い。契約時に1ヶ月分の家賃が支払われただけだ。
 使用不能になるまでの防犯カメラの映像は、さして画質も良く無く、はっきりと顔が判別できるほどでも無い。そしてモニカはマスクを付けていた。関係者の証言で似顔絵が作られたが、個別に聞けば、もっと若い、いやトウが立っていた、もっと美人だ、こんな感じだ、などと人の記憶は曖昧だ。規制線で追いやられたマスメディアが、望遠カメラで撮影した逃走時の銀行出入り口の写真も、ぼやけて人物が見分けられるほどでもない。
 当初、人質の氏名は伏せられ「30代女性」であったが、人の口に戸は立てられない。人質達から漏れたのか「シミズ・モニカ」の名は、マスメディアに広がった。さすがにそのまま公表はしなかったが、Sさん30代、のように表記された。
 そもそも彼女は本当にただの客だったのか、20世紀アメリカのハースト事件のように犯人に同調して行動を共にしたのではないか。防犯カメラの件を考えると、組織犯罪ではないのか。いやいや、組織犯罪が小さな支店を狙うメリットが無い。様々な憶測が流れた。

 産婦人科医は悩んだ。立てこもり事件のあった夜、飛び込みで来た患者。早期流産だった。患者の名前は清水モニカ、34歳。旅行先での事で、健康保険証も無いと言う。医師には守秘義務がある。患者に関して外部に漏らしてはいけない。
 しかし立てこもりで行方不明になった人質はSさんという話だ。年齢、そして似顔絵に似ている気がする。共犯者という声もあるが、それはあり得ない。彼女は自分の妊娠を知っていた。そんな状態で銀行強盗なんてしないだろう。あの患者がSさんだとすれば、巻き込まれただけだ。
 あの後、産気づいた患者が来て、女医は分娩室に入っていた。仕事を終えてカルテを書いていると、清水モニカは駆けつけた親族と帰った、と若いナースに聞かされた。そして後から報道で知った、人質のSさん。
「私、思うんですけど、きっと夫婦喧嘩して、別居するとこだったんですよ! でも立てこもりの人質になって、けど上手く逃げたんですよ! で、夫に助けを求めるんです。そこで男も慌てて迎えに行く⋯⋯と。再び夫婦の絆が深まって、って気がしません?」
 おしゃべりなナースが妄想を膨らませた。
「で、先生。警察に届けなくても、いいんですか?」

 そうねえ、と女医は思案する。ナースの妄想はともかく、本人だとしたら、立てこもりによる恐怖やストレスに加えて、流産だ。警察から、その時の事情聴取を受けるのは、つらいだろう。名乗りを上げる気にならないのかも。悩んだ末に、女医は警察に届けた。患者の秘密は絶対に守るように、それだけは口を酸っぱくして、伝えた。その情報に俄然、警察は沸く。
 しかし調査をしても清水モニカの足取りは不明だ。確かに、妊婦なら共犯の線は薄い。かと言え、妊婦が人質になるのを納得するかと言えば、よほどの善人でもない限り、あり得ない。残る可能性は、妊婦が自分に後ろ暗い所がある、くらいか。しっかりした画像が残っていないのが、手詰まりだ。犯人が人質を残して金を持って逃げるならともかく、その逆では、わけがわからない。
 女医が語った「つらすぎる記憶を話したく無いため」隠れたのでは、との想像は的を射ているかと、警察側でさえ思った。マスメディアに追いかけられる日々を恐怖した可能性もある。
 さりとて、確たる証拠も無いのに公表するわけにもいかない。人質が行方不明、というのは重大事件だ。警察は何をやっている、と世間の風当たりも強い。公表できないため、それとなくマスメディアにリークする。
『Sさんは犯人から逃げ出した。つらい記憶を思い出したく無くて、表に出ない』『人質にまで逃げられた犯人は、慌てて行方をくらました』
 それを元に、テレビや週刊誌、新聞が仮説を流し、掲載した。



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