満月のアリア (25) 言の葉 1

2021/12/28

二次創作 - 満月のアリア

 女医によるエコー検査や内診を終え、ミレーヌは診察室へ通された。
「申し上げにくいのですが、流産です。でも妊娠初期の流産は、お母さんのせいではありません。ほとんどの場合は、受精卵の遺伝性疾患や先天性異常が原因です。どうか、ご自分を責めないでください」
 その後も何か女医は言っていたが、頭に入ってこない。ミレーヌは、ただ頬を伝う涙を感じていた。女医は無言で、机の上のティッシュボックスを彼女に差し出した。
 処置を受けた彼女は、1、2時間休んでくださいと言われ、病室に身を横たえる。女医は一晩の入院は勧めなかった。赤子の声のする場所で、流産した女が涙を流すにはつらすぎるのを知っている。
 1階の2人部屋、もうひとつのベッドは空いたままだ。2階が妊産婦の病室なのか、時たま、赤子の泣く声が小さく聞こえる。ベッドの横のスツールにキャットが座り、控えていた。かける言葉は何も見つからない。病室に移るときに「ありがとう」と小さく声にした以外、ミレーヌは何も言わず、キャットも何も聞かず、ただそばに付き添っているだけである。
 ミレーヌはキャットに背を向け、横になっていた。眠りはせずに、無言で思考をめぐらせる。病室に暖房は入っているが、ベッドにいても身体が寒々と冷えている気がする。

 自分の救出に来たスティンガー達、ネオ・トキオからの移動時間を考えれば、早い段階から動いているのが判断できた。自分は尾行されていたか。ルードビッヒが指示したか、いや、彼はそんな事はしない。
「私を尾行つけてたのは、キャット?」
 振り向く事なく、付き添うキャットに問う。
「はい。ウルフの指示でミレーヌ様の所在を特定しておくようにと」
 ミレーヌから、ようやく会話らしいものが出てきた事に、キャットは少し安心する。
「ウルフのおせっかいね。でも助かったわ。あなた尾行、上手ね」
 救出に動いたのは、自分が解放された人質として、警察の手の内に入るのを阻止するためと、想像はできた。
「あなたの主人に伝えておいて。杞憂きゆうは流れたわ」
 返った言葉にキャットは眉をひそめ、唇を噛んだ。伝言の意味に苦しさを感じ、承知しました、とだけ答えた。2人の会話は、そこで途切れた。
 今のミレーヌは、からっぽだ。ネクライムを去り、この手に抱くはずだったルードビッヒの子は流れた。生きてきた世界、生きようと思った世界が彼女から消滅した。何も残ってなかった。
 せめてあの人の子が欲しかった、そんなささやかな願いも叶わなかったか。虚しさに涙が出た。これから、どう生きて行こうか。頭は善後策を考える。泣き叫んでも、誰も自分を助ける事など無いのを知っている。自分で選んで歩くしかない事を承知している。

 この病室にいるのは「清水モニカ」だ。立てこもり犯から逃げた痕跡は、残しておかなければならない。そうでないと「さらわれた人質」として、ずっと警察が捜索を続ける。この医院を出たら、マンションからスーツケースを動かさなければ。これきり、モニカの名は使えない。
 ネクライムに戻る事は不可能だ。そんな半端な事は組織の規律を乱すし、第一、ルードビッヒが受け入れるとは到底思えない。自分が組織を抜けた事とて、十分さざ波を立てているに違い無い。彼との関係は、自分自身でピリオドを打った。たとえ想いが残るにしても。
 そしてネオ・サッポロも、もう無理だ。偽造パスポートで海外に出るか、その先は⋯⋯落ち着いた先で考えようか。
 あての無い、根無し草になった境遇は、唯一の庇護者の母を亡くした5歳の時に似ていた。あの時はオルガが迎えに来てくれたが、今は独りだ。だがもう幼女でもない、ひとりで歩いて行くには十分だ。何のしがらみの無くなった今の自分は、ガランとした人生の舞台に立っている。それが自由という舞台であっても、今は照らすライトも無く、真っ暗だ。
 それでもオルガが命をかけて守ってくれた、この身がある。足掻いて、自分の道を探せばいい。からっぽになった自分を、また何かで満たしていこう。大丈夫、きっと見つかるわ。
 今のミレーヌが思い立つのは、そのくらいしかなかった。

 ウルフとキャットはミレーヌに付き添って、医院の中に居る。シャークと小沼は産婦人科の駐車場の車に残された。彼らがここに着いて少しすると、別の車が来た。中から腹の大きな女と、その夫らしい男が出た。男は妊婦を気遣いながら肩を貸し、医院の中に入っていく。子供はいつ生まれるかわからない、産婦人科は昼夜無しなんだろう、と小沼は眺めていた。
 つい勢いで、モニカと共に逃げてしまった小沼だったが、状況がよくわからない。医者に行くほど、生理痛がひどいのか。そもそも、この連中は何なのか。ワケありって、何だ。警察で無い事は確からしい。さすがに、もうマスクは外していた。
「なんか、ついでに来ちまったけど、これでお前もネクライマーだ。まあ年が年だし、実働部隊は無理だろうな。どっか、別の部署だな」
 シャーク、と名乗っていた黒ずくめの男は、そんな事を言う。防具のようなゴツい装備は外している。しゃくれ顎で、細身だが筋肉質である事は見てわかる。小沼は恐る恐る、聞いてみる。
「あのー、ネクライマーって、何ですか?」
「犯罪組織の、クリスタル・ナイツ・ネクライムの構成員って、事だ」
 それは、裏社会って事か! 焦ったが、どっちにしろ、捕まるかどうかの瀬戸際だ。もうこりゃ、腹をくくって生きるしか、ないか。小沼は開き直った。
「あの、それで、モニカ、あの女は?」
「それについては、他言無用だ。何も話すな。命が惜しけりゃな」
 そんな、映画みたいなセリフを現実で聞く事になるとは、思わなかった。小沼は、はいと答えたきり、無言になる。
 その時、駐車場にまた1台の車が入ってきた。


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