事件現場の銀行は、住宅地の中にある。近くに適当なホテルは無く、ルードビッヒ達は、そこから5km離れた、中心地に近いネクライム所有のビルの部屋に落ち着いた。到着時刻に合わせて報告のためのキャットが待ち受け、北部支部の者達が、すでに部屋内に通信機器やモニター、テレビなどを用意していた。会議室のような長テーブルと、パイプ椅子もある。シャークとホークは、先に別の車で現場付近に移動している。テレビのニュース画面が今までの経過をVTRを交えて放送していた。現在の銀行は、報道規制なのか映されていない。
ある意味、クリスタル・ナイツ・ネクライムにとっての重要機密とも言えるわけで、北部支部員は準備をして引き継いだ後は、姿を消した。
「状況は?」
尋ねるルードビッヒに、北部支部から引き継ぎを受けた書類を手に、キャットが答える。彼女はミレーヌ尾行のためか、一般人の目立たない服装だった。
「北部支部がこちらの連絡を受けてから、該当銀行の防犯カメラの監視システムにハッキングをかけ、銀行システムでは映らないようになっています。防犯カメラ映像は、今、あちらの画面です。地方銀行で、大きな支店でも無いので、カメラ画像は粗いですが。なかなか有能な構成員達です」
キャットが指差した先の複数台のモニターが、銀行内を映し出していた。出入り口付近、ATMスペース、待合用スペース、得意先用商談室、銀行カウンター内、金庫室前、貸金庫内、スタッフ用廊下、休憩室、職員用出入り口。画面には犯人と思われるマスク姿の男、そして人質達。ジタンダが「ミレーヌ様ぁ」と情けない声を出してそれを見ている。
「確かに、有能だな」
ルードビッヒは、短時間に準備された設備と行動力の早さに満足する。カメラ画像に映る人間達は、粗い解像度で動きが無かった。キャットが言葉を続けた。
「警察無線も傍受しております。撃たれた銀行員解放の後、犯人から要求があったようです。警察が要求を呑む代わりに、さらに3人、親子連れと老人が解放されています。解放された人質からの情報によると、銀行内の人質は、残り客2人、銀行員5人、合計7人。犯人はマスクを付け、推定40後半から50代前半。凶器はリボルバー1丁、モデル名は不明。他に武器を隠し持っているかも不明です。時間的に、もうじき要求した逃走用車両が準備されます。それから念のため、ネオ・サッポロでのミレーヌ様の写真はこちらに」
差し出された写真は、宿泊先なのか、ホテル玄関から出てくる女が写っている。黒いウールのコート姿で、その髪は色がダークブラウンに変わり、アップに結わずに下ろされていた。その状態は、ルードビッヒのよく知る髪だった。
ルードビッヒはキャットの手にあった書類を引き抜き、眺める。
「またずいぶんと展開が早いな。立てこもり犯は、たいがい、グズグズと時間を浪費するものだ。明け方に突入が定石と踏んだが、そこまで延びなかったか」
ミレーヌが動いたのかもしれない。警察とマスメディアに囲まれた状態では、一般人として出るに出られない。
「逃走する際には人質が必要だな。おそらくは、それがあの女なんだろう。一般人として解放されて警察行きより、犯人と逃げて、どうにかする方が容易い」
言いながらルードビッヒは写真に再び目を落とし、妊娠中だ、他に女が居たほうがいいかと思案した。別に子を望んでいるわけでは無い。ただ得体の知れない妊婦という対象が、どう扱うものなのか、彼には理解できないからだ。
「ウルフとキャットは現場に行け。ホークは交代でこちらによこせ。ジタンダ、警察無線とカメラのチェックを続けろ」
ジタンダが、ヘイっ!と勢い良く、答えた。ミレーヌ様を救出するためなら、いくらでも働きますデスどす。その時、会話を横で耳にしていたウルフが、口を開いた。
「逃走予定なら、ちょうどよろしいかと。警察突入時にまぎれるつもりでしたが、逃走時に襲って、犯人の拳銃でミレーヌ様を始末できます。その後に犯人を自殺に見せかければ、すべて終了です」
冷酷な提案に、彼以外の人間は息を飲み、場に、凍りつくような空気が流れた。キャットもジタンダも、怒りを持ってウルフの顔を凝視する。ルードビッヒは、手にした書類を握り潰し、滅多に見せない怒りの表情で、部下に声を荒げた。
「ウルフ、貴様」
「組織を抜ける事は許さない、が原則です。温情を与えるなど、甘すぎやしませんか」
正論を語るウルフにルードビッヒは近づき、握った書類を部下の頬向けて、思い切り、横に張った。それはウルフには避けられたかもしれないが、忠実なる部下は、あえてそれを受け止める。小さな音がして、部下の頬が叩かれた。写真が、ひらりと床に落ちていた。右腕を下ろすと、まだ怒りの残る顔で、しかし声は抑え、ルードビッヒは命じる。
「二度と、口にする事は許さん」
抑えた声であっても、その目は相手を十分に威嚇した。ウルフはルードビッヒの前に、ひざまづく。
「申し訳ございません。差し出がましい事を口にいたしました。現場に参ります」
出しゃばった部下として、主人に許しを乞う。だが視線を床に落としたウルフは、口の端をかすかに上げた。
部屋を出たウルフを追いかけるように、キャットも出てきた。エレベータへ向かう廊下を歩くウルフを、キャットが詰る。
「ウルフ、あんたなんて事、言うのよ! 私だって殴るわよ!」
怒るキャットは、今にも殴ろうかと右手に拳を握っている。
ミレーヌは地獄まで共に、と誓った仲間のひとりである。一度は最悪の裏切りもあったが、それは主人の予想の範囲であり、また彼女なりの想いの結実である事は理解できた。
主人は「ミレーヌが去った」と皆に伝えた。今この時に去る理由は何か、去れねばならない理由は何か、想像したキャットは、女としてひとつの仮説にたどり着いていた。
「ん。あれくらいカッカされるなら、この先もどうにか、なるだろう。まあ、ここまで来ている時点で十分、脈アリだけどな。忠実な番犬は、ご主人様の背中をチョイと押して差し上げただけさ」
すました顔で、キャットの方を振り返りもせずに、ウルフが答えた。「え?」と反応したキャットは、次の瞬間、吹き出した。緩んだ右手の拳は開かれて、くすくすと笑いながらウルフの背中を、手の平で、何度も軽く叩く。
「もう。あんた、最高ー!」
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