上弦の舞姫 (1)

2021/10/26

二次創作 - 上弦の舞姫

 ヨーロッパであれば初夏と言えるが、ここネオ・トキオは梅雨と呼ばれる雨季であった。昨夜からの雨は上がっていたが、曇天の下、湿気を含んだ空気が残っている。2048年だからと言って、天気まで人間の好みでどうこうできるものではない。
 体にまとわり付くような湿度に不快な顔をした男は、ビルの駐車場に着いた迎えのエア・カーから降りると最上階を目指す。
 ネオ・トキオの、とある20階建てビルの最上階ペントハウス。長身で白のスーツに蝶ネクタイのその男、アドルフ・フォン・ルードビッヒが、犯罪帝国ネクライム極東支部の司令室に姿を現した。司令室以下の部署は、他の場所にある。最重要のこの場所を知るものは、ごくわずかだ。
 妙齢の女と、若い小男と、黒ずくめの5人の者達が新たな支配者を迎える。
 すらりと背の高い、紺碧こんぺきの髪をった女は、容姿もパリ・コレのモデルのように端整に整っていた。濃いスミレ色の膝丈のドレスは首元を覆っているが、それ以外はノースリーブで腕周りが大きく開いて、肌を見せていた。左の二の腕の金のバングルが目に入る。ウエスト部分に至っては、左右に大きく開けた隙間に柔肌があり、なかなかに挑発的な姿と言えた。
 女は司令室に現れた、青白い顔に金髪の若い男をじっと見つめると、口を開いた。

「お久りぶりね、ムシュー・ルードビッヒ。それともルードビッヒ様、の方がいいかしら? 今日からあなたが、新しいボスね。今さらだけど、ミレーヌ・サベリーエワよ。ご存知の通り、今までボスの代理をしていたの。代理といってもサイトウ様の指示を出していただけ」
 女は軽く笑みを作って、極東支部の新しい主人あるじに挨拶をしながら、ガラス壁面を背にしたエグゼクティブデスクの椅子を彼に勧めた。前任者のサイトウは病のために入院生活を余儀なくされ、その代理人が彼女である。指示を出していただけ、と言ったが、それが代理人の助言や発案を含むものである事を、ルードビッヒは組織内の噂で知っていた。そしてサイトウが病没し、ネクライム総統フューラーから後任の拝命を受けたのが、ルードビッヒである。
「やあ、レティシア。本名はミレーヌだったな。別に呼び方はかまわんよ。仮にも代理人を務めた君だ。好きに呼べばいい」
 勧められた椅子に腰を降ろした新たな主人は、その座り心地を楽しむわけでも無く、言葉を続ける。
「まさかここで君に会うとはね。『銀の猫』のバーメイドがネクライマーか」
 無論、彼は就任前に人事から回ってきたメンバーの書類で確認済みだ。パリの高級ホテルのバー『銀の猫』のカウンターの中にいた女の事は、覚えていた。
 まだ女性バーテンダーバーメイドの見習いとは聞いたが、かもし出す雰囲気は落ちついており、その所作に美しさがあった。あの頃は髪の色はブラウンで、職務に準じた服装と控えめな化粧ではあったが、薄暗がりでも顔立ちの綺麗さは認められたし、バーメイドとしての腕も悪くなかった。そう長くもない期間で店を辞めたが、印象に残る女ではあった。
「うまくパトロンを見つけて、店を開くために辞めたと聞いていたよ」
 彼の言葉に女は目を細めてると、
「あの時は、その必要があったの。でもあの店に潜り込むために、ずいぶん訓練したのよ」
 答える目の前の女は、今は艶やかにその姿を変えている。『銀の猫』のバーメイドが仮の姿であった事を考えれば、今の彼女こそが真の姿なのだろう。

「お知り合いだったんドスか?」
 褐色の肌の、モシャモシャした髪の若い小男が、ミレーヌとルードビッヒの顔を、交互に見た。
「彼は、ジタンダ。細々こまごまとした世話役よ」
 ジタンダの代わりに彼女が説明をし、あわててジタンダは、頭を下げた。
「ルードビッヒ様、ジタンダ・フンダでございマスデスドス。よろしくお願いいたしますデス」
 ジタンダは小男ながらも、立襟の白シャツにクロスタイを付け、ジャケットとズボン吊りサスペンダー付きのダボついたスラックスで、略式の礼装と言えた。ただジャケットの裾が長いので、よけいに脚が短く見えるが。
「私がパリにいた一時期、ホテルのバーで働いてたの。その時のお客のひとりがルードビッヒだったのよ」
 彼女は、先程のジタンダの質問に答える。
「君は、ただのバーメイドだと思っていたよ」
 実際、『銀の猫』はルードビッヒがひとりで落ち着ける空間であった。パリの夜景が望めるその店は、酒を飲みながら日々の喧騒を忘れて、アルコールで痺れてくる脳を楽しむにはちょうど良かった。特に、意味もなく思い出しそうになる女の事を振り払うためにも。
 そんな自分が見られていた事に、軽い屈辱を感じた。
「私はあなたを知っていたけど、私は私の仕事中だし、あなたはプライベートでしょ? わざわざ教える必要も無いわ」
 首をかしげて微笑すると、ミレーヌは黒ずくめの5人の集団を紹介する。
「サイトウ様が亡くなって、人事も一新されたの。総統直属のスティンガーウルフ部隊が付くようになったわ」

 ヘルメットを脇にかかえた先頭の男が主人の前に片膝を付くと、残りの4人も同様に片膝を付いた。
「ルードビッヒ様、就任、おめでとうございます。スティンガーウルフでございます」
 幾多の修羅場をかいくぐってきたのか、その顔にすごみを漂わせる、チームリーダーのウルフが挨拶をする。続いて、しゃくれ顎のシャーク、鷲鼻のホーク、巨漢のベアー、紅一点のキャットがそれぞれに挨拶をした。
「これから、よろしく頼む」
 新たな、己の野心のステージに立ったルードビッヒは、部下達に一言、そう言った。
「内装とか、変えたいならおっしゃって。以前のままだから。通信機器以外なら、変えられるわ」
 ミレーヌは新しい上司に、ここはお前の物だと伝える。
 そうだな、とルードビッヒは室内を見回した。広い室内は、壁に嵌め込まれた通信機材を除けば、窓際にエグティブデスクと椅子と、他に豪華な応接セット、壁際のガラス扉付きの本棚、サイドボードなどがある。
「サイドボードは不要だ。本棚の場所に、バーカウンターを付けてくれ。酒もたっぷりと頼む」
 主人の言葉に、ミレーヌは、ほほほ、と笑った。
「いいわね、楽しそう。あなた、お酒が好きだったわね。工事の音はうるさいけど、我慢してね。すぐに手配するわ」

 その夜、ルードビッヒの自室の電話が音を立てた。彼らの個室は、司令室と同じフロアにある。受話器を上げると、ミレーヌだ。
「就任祝いに、2030年物のワインは、いかがかしら」
「それは、ありがたいな」
 なかなかの心遣いだ。
「ジタンダに運ばせるわ。私も、お相伴しょうばんしていいかしら?」
「かまわんよ。今度はソムリエではないのかね?」
 彼の軽い皮肉に、ふふっ、と受話器から声が漏れ、では後ほど、と切れた。
 適温に冷えた赤ワインと、グラスが2つ運ばれた後、ほどなくミレーヌがドアをノックする。ルードビッヒはワインのコルクを抜くと、グラスに注いだ。彼はソファーに座り、ローテーブルの向かいの肘掛け椅子にミレーヌがいる。
「乾杯、あなたの未来に」
 ミレーヌが声を掛けた。
「ネクライムの未来に」
 ルードビッヒは、無難にそう答える。
 2030年の赤ワインは、極上の香りを鼻腔に広げた。よく管理されていたワインだ。

「あなた、大したものね。この極東地域は、フューラー総統がネクライムを設立した地。つまり世界中のネクライムの支部の中でも、一番歴史があり、重要な場所。組織の支部に序列は無いけれど、暗黙の了解として、極東支部を収めた者は組織のナンバー2と目されるわ」
 ワインで喉を潤した彼女は、楽しげに話す。
「ルードビッヒ、あなたは数年で、ここまで来たのね」
「そうかね」
 男はワインを楽しみながら、女の言葉を聞き流す。
「あら、知らんフリしたってダメよ。野心の無い者がネクライムの幹部になれるわけ、無いじゃないの。あなたの目にも、野心が良く見えるわ」
 ひそやかに笑うと、彼女はグラスを傾けた。
「大丈夫よ、私は面白そうな事が好きなの。あなたが進む道が楽しそうだから、見ていたいだけよ。もちろん、協力は惜しまないわ」
 空いた2人のグラスに、ミレーヌがワインを注ぐ。
「お店で、お客としてのあなたを見ていたけれど、これからは一緒に歩けるわね」
「知らんフリ、か。それならミレーヌ、君はどうなんだ?」
 ルードビッヒは、グラスに口を付ける女を横目で見た。

「ミレーヌ・サベリーエワ、出身ロシア。生年月日、空白。組織加入年、空白。他は何も無いじゃないか。ネクライムの構成員データなのに。ネクライムでの活動歴はあっても、その前は真っ白だ。貧民街出のやつだって、経歴ぐらい書いてある。まあ主に犯罪履歴だが」
「あら、血液型に身長と体重、スリーサイズくらい、あるでしょ」
 おどけるように、ミレーヌは返した。
「⋯⋯スリーサイズは、無いがね」
 煙に巻く気か、バーメイドの頃の一歩下がって客の相手をしていた時と違い、快活に口を開く女に彼はしたたかな本性を見出した。
「いいじゃないの、それが私なんだから。ネクライムの気まぐれよ。幹部候補生として英才教育されたの」
 ミレーヌは、グラスをそのエメラルド色の瞳の高さにかざして、赤い色を見ている。
「英才教育⋯⋯それは聞いた事が無いな」
 彼には初めて聞く話だった。わざわざ、そんな事を?
「そう。実験ですって。多分、試しにやってみて、効率が悪いからやめたんでしょ」
 彼女はグラスを空にすると、美味しいわ、と言って、小さなバッグからタバコの箱を取り出した。
「いいワインに、少し酔ったかしら」
 彼女は取り出したタバコを口にくわえてライターで火を点けようとしたが、ルードビッヒの遮るように差し出した右手が、ガスライターの着火を止めた。
「悪いな。この部屋に灰皿は無い」
 手元から視線を上げたミレーヌは、あらそう、と言ってタバコを箱に戻すとライターと共にバッグに戻す。

「美味しかったわ。じゃあ、これで失礼するわね」
 椅子から立ち上がったと思うと、ルードビッヒの側まで来た。彼の右肩に手を掛け、体をかがめて、自分の唇を彼のそれに合わせる。ワインの香りが匂い立った。
「ごめんなさい、ちょっと口が寂しかったの」
 唇を離すと、女は艶やかにそう言った。
「フューラー総統は、私の私生活にも興味がおありかね?」
 女を使ってまで、全てを掌握していたいのか。不快な顔でミレーヌの顔を見つめて、行為の理由を探った。
「あら、違うわよ。⋯⋯ただの軽い意地悪」
 ミレーヌはルードビッヒの言葉に眉をひそめた。
「それにあなたの言う理由なら、もっと若いを使うんじゃなくて?」
 彼はしばし考えて、返答する。
「⋯⋯確かに、それは正論だ」
「なかなかに失礼な、お返事よ。ルードビッヒ」
 笑みを浮かべるとドアに向かい、おやすみなさい、と振り返った。
「ああ、おやすみ」
 ドアが閉まると、彼は、右の指で自分の唇に軽く触れた。
「少々、惜しかったか」
 彼はグラスに残ったワインを飲み干した。

 ドアを閉めたミレーヌは、小さく笑う。明日から、楽しくなりそうね。あの男の野心の目は、この先、きっと極上のショウを見せてくれるわ。有能な演出家の元、私も演者のひとりとして、舞台で華麗に舞いましょう。
 彼女は、自分自身で組織をどうこうしたいとは考えなかった。刺激のある生活は気に入っていたが、自分で何かを成したいとまでは思わない。前任のサイトウの元でも、彼のサポートをするに留めた。それは、彼女のしょうに合っていた。
 上機嫌で廊下を歩くミレーヌの脚は、少しもフラついてはいなかった。

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