満月のアリア (21) 交渉

2021/12/20

二次創作 - 満月のアリア

 ミレーヌは体に違和感を感じた。交渉してみるしかないか。
「あなた、私はお手洗いに行きたいの。いいかしら」
 立てこもり犯の小沼は、ギロリと彼女の顔を睨んだ。
「お前、名前は何だ?」
「清水モニカよ」
 それが、ミレーヌの新しい名前だ。さっき、バッグの中の書類を見られている。男が覚えているかは不明でも、ここで偽名を使うのはリスクが高い。
「いいだろう。エミ、カッター持って来い。そのくらいあるだろ」
 また何か命じられてしまったエミは、慌ててカウンター内に入り、自分のデスクの引き出しを開けて、カッターを持ってくる。
「トイレはあるんだろ、モニカを連れて、行ってこい。絶対に逃げないようにカッターを構えておけ。2人とも絶対帰ってこいよ、わかってるだろうな」
 エミは再び口を真一文字にして、無言でうなずいた。ミレーヌは広角を上げ、ありがとう、と小沼に礼を言った。人質に礼を言われた小沼は、なんだか妙な気分になった。
 銀行カウンター奥の扉の先の廊下、ミレーヌが歩き、後からカッターの刃を出したまま、それを手に持つエミが続く。後ろから指示されて、いくつかのドアを通り過ぎ、職員用女子トイレに案内された。
「お願い、絶対に逃げたりしないで。子供が殺されるのも、私がこれを使うのも、絶対に嫌なの」
 カッターを構えながら、涙目になったエミがミレーヌに訴える。
「別に逃げたりしないわよ」
 ミレーヌは、そう答える。今は、ね。人質にトイレを許可する立てこもり犯、嗜虐しぎゃく的な男では無いという事だ。シャッターが閉まった前後を考えれば、そもそもこんな状況は望んでいなかったのだろう。そんな男がこれから起こす行動はどうだろうか。

 幸い、トイレ内には生理用ナプキンの自動販売機があった。念のために、2個入りのパックを買っておく。見ていたエミは、ああそうか、と納得した。
 個室に入ったミレーヌは下着を下ろしたが、下着に少し血が付着している。服にまでは付いていなかった。不正出血だろうか、何かお腹の子供に起きているのだろうか。腹部に痛みは無い。とりあえず、下着にナプキンを付けた。ぐずぐずしていられない、戻ったら進めよう。
 個室から出た彼女は、カッターを前に差し出したままのエミに声をかける。
「あなたも、トイレを済ませておけば? 私は逃げないわよ。子供を死なせたく、ないの」
 あの男が、子供を殺すような男なのか、あるいは脅しだけなのか、どちらだろう。そんな事を考えていた。ミレーヌの様子に、エミも安心したのか、はい、と答えて個室に入る。個室の中から、声がする。
「どうして、モニカさんは、そんなに落ち着いているの? ほんとに警察官とかじゃないの?」
 当然の質問だった。あるいは会話する事で、ミレーヌが逃げ出していないか、確認しているのかもしれない。
「あら、内心はドキドキよ。でも立てこもりって、必ず解決するじゃない。いかに犯人を刺激しないで無事に過ごすかよ」
 妊婦だ、と申し出れば解放されるかもしれない。しかし、それは無理だ。事件の最中に解放された人質では、すぐさま、情報欲しさに警察内部に取り込まれる。マスメディアだって放っておかない。

 トイレを済ませた2人が元の場所に戻ると、50歳手前の支店長が電話の受話器を耳に当てている。
「要求は何か、と聞いてます」
 支店長は電話口を押さえて、横にいる小沼に、おそらくは電話の内容を伝えている。
「ああ? 要求だと? うるせえ、まだ待て! 電話を切れ」
 支店長は、その答えを電話口にもっと上品な言い方で伝えると、受話器を置いた。どうやら、警察から電話があったようだ。電話の受信音をスピーカーにしないのは、犯人の声をそのまま相手に知らせたく無いからか。
 戻った2人の女を確認して、小沼はほっとした。そんな彼の表情を見て、この男は子供まで殺しそうには無いな、とミレーヌは推察する。むしろ殺しをした事も無さそうだ。
 電話を切らせてから小沼は考える。要求か、そうだな、立てこもりっていうのは要求を出すもんだ。とにかく逃げたい、金も欲しい、それだけだ。車に金、だがどこに逃げるんだ。その時、ミレーヌが言葉を出した。
「要求は、車と、金貨がいいわよ。金貨なら、シリアルナンバーも無いわ。どこに行っても価値があるし。欲をかかずに1オンスのを100枚くらいの要求でいいんじゃない? あと、そのバッグに入ってるお金は、番号が控えてあるんじゃないのかしら。やめておいた方がいいわ」
 小沼が背負っていたナップザックは、今、彼の足元に置いてある。図星を突かれて、銀行員達の顔色が変わった。この女は、実は共犯なのか?
「なんだとう!」
 思いもしなかったミレーヌのセリフに、小沼がいきり立った。
「あら。強盗用に、ナンバー控えた札束を用意しておくなんて、結構、知られた話よ。でも彼らを怒らないでね。それが彼らの仕事なんだから。ねえ、時間ばかり経っても、無駄じゃない? 突入される前に要求を出して、逃げたらどうかしら。でもその前に、子供と母親と、老人は解放してあげて。ゾロゾロ人質がいたって、あなたひとりじゃ、管理するのが面倒よ。面倒だからって、その銃で殺したって、弾が減るだけだし。代わりに、逃げる時に私が人質として同行するわ。逃走に人質は必要でしょ。私が運転するわ」

 手詰まりになっている小沼の頭に、ミレーヌは次々とやる事を提案してきた。まあ、確かにそうだよな、強行突入されたら、どう足掻いても助かる道は無い。とにかく車で逃げてみるか。それにしても、この女、何を考えてやがる。
「おい、この中の金を出せ。それで、別の、番号を控えてない金を入れるんだ!」
 足元に置かれたナップザックを見ながら、銀行員達に命令した。命じられた銀行員達は、一体、あの女の客は何なんだろう、敵か味方か、判然としない状況に疑問符で頭を一杯にしながら、控えナンバーのある札束を出し、問題の無い金を入れ始めた。ここで誤魔化すわけにはいかなかった。
 金の準備ができると、小沼は支店長に警察に電話をするよう命じた。
「要求を伝えろ。1オンス金貨を100枚と、車だ。要求を呑むなら、親子連れと老人を開放する、そう伝えろ!」
 拳銃を突きつけられている支店長は、少し裏返った声で、はい、と答えると受話器を上げた。先ほど警察からの連絡を受けた電話機の着信ナンバーを表示させ、発信ボタンを押す。すぐに繋がった。
「私は支店長です。立てこもり犯からの要求があります。1オンス金貨を100枚と、車を用意してください。要求を呑むなら、親子連れと老人を開放してくれるそうです。はい。はい。わかりました」
 短い電話が終わった。受話器を置いた支店長は、緊張で顔が引きつっていた。
「検討して、折り返し、電話をくれるそうです」
「チッ、さっさと決めろよ」
 そう不平を言ってみたものの、自分で考える時間ができた。どこへ逃げる? ここの地形じゃ、南は低い山で無理だ。とりあえず繁華街は避けて、北へ逃げるか。

 10分ほどして電話が鳴った。小沼は支店長に出るよう、うながした。
「はい。支店長です。はい、はい。わかりました。伝えます」
 小沼の方に顔を向けた支店長が、言う。
「準備に4時間ほど欲しい、と言ってます」
 受話器口を押さえて、支店長が伝える。
「バカ野郎! そんなに待てるか! 半分の2時間だ! そう言え!」
 警察は時間稼ぎをするつもりか、小沼は、わめいた。
「待てないから、2時間で準備しろと言ってます。お願いです、どうか言う事を聞いてください。私たち人質のためにも。お願いします。お願いします」
 犯人のためでなく、自分を含む人質の安全のために、支店長は電話口に切実に訴える。
「なんとか2時間で準備する、その代わり、今すぐに親子連れと老人を解放してくれ、と言ってます」
 警察の言葉を、小沼に伝えた。
「⋯⋯いいだろう。だが2時間で準備しなかったら、残りの人質を殺すからな、そう言って、切れ」
 血の気の引いた顔の支店長が、そのむね伝え、電話は終わった。
 小沼は自分の腕にある、安物の腕時計を見た。午後2時32分か、2時間後なら4時32分だ。ちょうど夕暮れ時になる。
「おい、そこのガキと母親、それと爺さん、解放だ。エミ、案内しとけ。戻ってこいよ、残りの人質がいるからな」
 少しでも人質の人数が減るのなら、それは希望になる。エミは、初めて「はい」と答えた。子供の母親が、ミレーヌに「ありがとうございます」と礼を言って腰を曲げた。他の人質達から見れば立場の良くわからない女性客だが、自分と子供が解放されるなら、それは礼を言うに値する。ミレーヌは、後ろ姿になった彼女が抱く子供と、目が合った。男の子はじっと見つめていたが、彼女は目を細めて心の中で『バイバイ』をした。老人も軽く黙礼をし、脚が悪いのか、ゆっくりとそれに続いた。
 人質は、残り7人になった。



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