「似合うわ、素敵よ。来週、もう1回ブリーチ? 仕方ないのよねー」
教室で、ミレーヌにロザリーが声を掛けてきた。お互い、ブロンドに憧れる少女同士だ。シンパシーを感じるのだろう。
「髪が明るくなったんだから、ピアスも変えてみたら? いつも同じのじゃない」
「これはいいのよ。気に入ってるんだから」
母の形見、とは言えない。一気に話題が重くなって、彼女に負い目を感じさせてしまうだろう。そして、普通の幸せな少女に、母の事を話したくもなかった。
「うわ、なんか意味深」
と、ロザリーはからかったが、個人の事に不必要に踏み込まないフランス人らしく、それ以上は何も言わなかった。ミレーヌは心の中で、友に感謝した。
土曜日、明るくなった髪のミレーヌに、日本語教師のヴィクトルは声を上げた。
「ワォ! いいよ、似合うよ。優しい感じになったかな」
「それは、今まで私が冷たく見えたって事? ラテン語の先生もロシア語の先生も、よりキレイよとか、とても素敵とか、自然に褒めてくれたわ」
初回でミレーヌはヴィクトルに馴染んでいた。変なお兄さんとして。
「いやいや、お嬢さん。クールビューティという言葉を知らないかな。まあ、あれはブロンドだけど。冷たく見えるのも美しいのだよ。優しく見えるのも美しい。美しさに階級制度(ヒエラルキー)は無いのだよ。好みはあるけどね」
ぷっ、とミレーヌは吹いた。調子のいい男、でも嫌ではなかった。
「ブロンドに憧れるのは、よくわかるよ。ボクも染めてるしね」
「え? そのダークブロンド、染めてたの?」
地毛だと思っていた相手は、ロザリーもヴィクトルも、染めていた。
「ボクも小さい時は、今より明るいブロンドだったけど、成長するにつれて色素が増えてブラウンになっちゃったのさ。大人になってもブロンドなんて、比率的には非常に少ないんだよ。だから昔のようにブロンドにしたかったわけ」
そういう物なのか、ミレーヌは母が地毛か染めているのかは、わからなかった。そして今さら、わかるはずも無かった。
「まあ、ブロンドの方が女の子にモテそうだしね!」
ヴィクトルは自分でオチを付ける。
「ところで、読んだ? 『ベルサイユのばら』どうだった?」
グレーの瞳を爛々とさせてヴィクトルが尋ねてくる。ピエトロは、きっと彼と同類なのだろうと思った。特定の物事に熱中する人をオタクと言うんだっけ、と世俗を知り始めた少女は思考する。
「うん。初めて日本のマンガを読んだわ。まだ途中まで。かなり絵が可愛らしいけど、時代背景が面白い。フランス語版の方、日本語で残ってるのは何?」
ミレーヌは先週、ヴィクトルからプレゼントされたマンガを少し読んでいた。感想を受けたヴィクトルは、楽しげに説明する。
「あれはね、擬音。擬音を吹き出しに入れずに、あんな風に表現するんだ。あの感覚は、日本語に慣れないと雰囲気を感じるのは難しいかもね」
「日本語の方は『カンジ』に、ひらがなのルビが付いているのが、いいわ。ひらがなを覚えれば、ある程度は読めるのよね?」
「そう。あれは少女向けのマンガだから。少女や少年向けのマンガは、漢字にひらがなのルビがある。小さい子でも読めるように。日本では、マンガで漢字を覚えたって人もいるそうだよ。年齢層の高いマンガには、それは無い。大人向けの素晴らしいマンガもたくさんあるからね」
彼が得意げに話す様は、なるほどオタクなのだろうとミレーヌに認識させた。
「あと、詳しい感想は全部読んでから、言うわ。お話は最後まで読んでからが、感想を言えるものでしょ」
渡されたマンガを2冊ほど読んでいたが、その後の日々はピエトロとの会話で思い出した、心の引っ掛かりが気持ちを沈ませて、娯楽のマンガに手を出す気にはなれなかった。
話題を変えたくて、ヴィクトルに聞いてみる。
「ねえ、映画に異性と行くのはデートなの?」
「ん? ⋯⋯そうか、デートするんだ。あー、そりゃ、マンガを読んでる暇は無いね。失礼、失礼。何を着ていこう、靴は? バッグは? お天気はどうかしら? 女性は悩みが多い」
うんうん、と合点したようにうなずく。
「質問してるだけよ。デートじゃないわ」
ミレーヌはヴィクトルを軽く睨んでみせた。多分彼は、こんなのを期待しているんだろうと思いながら。
「ミレーヌがデートじゃないと言うなら、違うんだろう。相手がどう思うかは別だけどね」
ニヤニヤしてるヴィクトルは、彼女の反応に満足したらしい。
「さて、始めようか」
昨日、床屋に行った。洗濯したジーンズに、アイロンを掛けた薄緑のシャツ、兄に借りたグレーのしゃれたブルゾン、スニーカーは昨日、洗って干した。バッグはこれもまた兄の、ワンショルダーの皮のボディバッグ。1週間、ニキビ用の洗顔剤を使った彼の肌は、額や頬のニキビをだいぶ目立たなくさせていた。ピエトロは、精一杯のおしゃれをした。
待ち合わせはミレーヌが提案した、先週会った本屋の雑誌コーナーだ。
『美容室の終わる時間がズレるかもしれないでしょ。雑誌コーナーの前なら、立ち読みで時間も潰せるし』
と言うのが理由だった。ピエトロは約束の午後1時より20分前から待っていた。気もそぞろで、適当に雑誌を開いてみるが、中身が頭に入らない。
「お待たせ」
1時の5分前に、ミレーヌが来た。その髪は黄色みを帯びたブロンドに染まっていた。きれいだな、と見とれそうになるのを我慢して、平静を装う。
「ああ、予想より早かったね。僕も今、来たところ。ブロンド、似合ってるよ」
今日は、言えた。
ありがとう、とミレーヌは答えたが、せっかくブロンドにしたのに、最初に会う相手がピエトロなのは少し残念だった。オルガとか、ロザリーとかなら良かったのに。先週約束した時には、そこまで考えていなかった。
「それで、どこの映画館に行くの?」
「ここから、少し歩いた名画座。でもまだ時間があるんだ」
2人は、連れ立って本屋を出た。ミレーヌは、今日は燻(くす)んだピンクの細身のパンツにした。相手に変な期待を持たせないように、スカートを避けた。それでも身頃や袖にボリュームのあるオフホワイトの薄手のセーターはきれいなヒダを作り、柔らかさを出している。化粧は、学校に行く時と同程度の薄さだったが、服のせいで年令よりも上に見える。
「お昼は食べて無いよね? 美容室だったんだから。ファストフードで、どう?」
大人びたミレーヌに少年の胸の鼓動が早くなったが、近くに見えるファストフード店を指差した。先週、待ち合わせ時間を決めた時には、映画は決まっていなかった。当然、決まった上映時間があるために、待ち合わせ時間との差が生じていた。ピエトロもそんな事は、わかっていた。
観に行く映画を決めてから、上映スケジュールに合わせて、待ち合わせ時間を変えるなり何なり、相談すればいいだけだ。学校で会うのだから、伝えるのは簡単だ。だが、彼はそうしなかった。
教室で彼女と映画館の話をしたくなかった。そんな事をすれば、クラスメイトにバレてしまうし、友人達に冷やかされるかもしれない。それだけならまだしも「みんなで行こうか」なんて話に発展する可能性だってある。
冗談じゃない、ピエトロはミレーヌとだけ、行きたかったのだ。幸い、彼女からも学校でその話が出る事も無く、というかクラスでは挨拶程度で特に話しかけられる事も無かった。彼女も内緒にしておきたいんだろうか、ピエトロはささやかな希望を見つけた。
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