形の無い月 (19) 街角 2

2021/10/06

二次創作 - 形の無い月

 ミレーヌは、ピエトロがバッグから出した映画雑誌を手に取り、まずは表紙をじっくりと眺めた。最近封切られた映画の主演俳優とおぼしき若い男が、左斜め前方に鋭い視線を投げかけている。
「ねえ、あなたが買った物じゃない。私が先に開くのは気が引けるわ」
 そう言って、自分の椅子をピエトロの隣に移動させて腰掛けた。カフェの道に面したテラス席の元、彼の心臓は大いに鼓動を早くする。
「ほら、こうすれば2人で眺められるでしょ」
 ミレーヌはページをめくりながら、へええ、とか、ふぅん、とか口にする。体がくっつきはしないが、横にいるピエトロは、めくられるページよりも彼女のいい香りの方が気になった。
「ありがとう。また新しい知識が入ったわ」
 雑誌を閉じると、彼女はそれを彼に差し出した。
「変わった言い方をするね」
 と、受け取った雑誌をバッグにしまった。そうだ、このままの流れで映画の話をしよう、ピエトロは会話が見つかった事を喜んだ。趣味である映画なら、話は続けられる。
 彼だって、別に女の子と話ができないわけではなかった。普通に、友人達となら気兼ねなく話はできる。ただ今日、ミレーヌと会ってからは、それが上手くできていないだけだった。
「生きていくために、いろんな知識は必要だから」
 特殊な環境で育ってきたミレーヌは、社会を知る必要のある自分を、よくわかっていた。

「そうだね、それこそが学問の目的だもんね」
 ピエトロは、そう答えてしまってから、自分を否定した。違う! そうじゃない。映画の話をするんだ、話が違う方へいかないように! テーブルに置かれたコーラをひと口飲んで、自分を取り戻した。
「ところできみは、どんな映画が好き?」
 聞かれたところで、ミレーヌは映画館で観た事が無かった。博物館や美術館は行く事があっても、オルガは暗くなる映画館は許可しなかった。テレビで放送される、芸術性の高い映画を少し、観た事がある程度だ。しかし恐らくそれは、一般的ではないと判断して、
「うーん、そうね。悲しくない映画が好き。主人公が可哀想なのは、いや」
 そう答えるに留めた。
「不治の病で死んじゃうやつとか? あっ、わかるな。コメディとか、楽しめるのがいいよね」
「ピエトロは、どんな映画が好きなの?」
 自分に質問を受けるよりも、彼に話させた方がいい、ミレーヌはそう判断した。「フツウ」で無い自分の生活に質問を受けても、いちいち誤魔化すのが面倒だ。自分で映画マニアと言うくらいだから、きっと話はいくらでも出てくるだろう。

「ええと、好きなのはたくさんあるけど。新しい映画も好きだし、古い映画も好きなんだ。フランス映画も、ハリウッドも、その他の外国の映画も観るよ。ジャンル的にはSFとか、アクション、サスペンスにミステリーもいいよね。あ、もちろんコメディも」
 色々言いたくて、まとまりの無い答えになってしまう。
「ふぅん。色々知ってるのね。ジャンルも色々。私、よく知らないから」
 ミレーヌは、嬉々として話し出した彼に相槌を打って、オレンジジュースを飲んだ。
 その時、ピエトロはひらめいた。
「そうだ、次の日曜、映画に行かない? 美容室は来週もあるんだよね、何時から? その後に、どう?」
 誘えた、誘えたぞ! 彼は自分の閃きに、心の中でガッツポーズした。
「そうね⋯⋯いいわ。美容室が終わるの、余裕を持って午後1時くらいよ」
 何事も経験だわ、ミレーヌは目の前の少年よりも映画館に興味があった。彼女がOKを出したので、彼は急に喉が乾いてきた。緊張している自分を悟られないように、すましてコーラを飲み干した。
「どの映画にしようか」
 と、さっきバッグにしまった映画雑誌を取り出そうとする。
「あなたに、まかせるわ。いいのを選んで」
 笑みを浮かべる彼女を見て、ブラボー! 神様ありがとう、と天に感謝を捧げた。


「来週、もう一度美容室でブリーチですって。それから高校のクラスメイトと映画を観てくるわ」
 髪色が薄くなって上機嫌のミレーヌは、オルガに報告する。オルガは日曜は夕方には帰ってくる。
「美容室はいいですが、唐突に、映画?」
「帰り道に本屋でクラスメイトに会ったの。彼が映画雑誌を買ってて、面白そうだから、カフェで見せてもらったわ。そしたら、映画に誘われたのよ。私、映画館に興味あるし」
 オルガは、ほー、と言ってミレーヌを見た。
「それはデートと言うのでは?」
「ただのクラスメイトよ。私、部屋にいるから。ファッション誌を買っちゃったの」
 雑誌をオルガに見せると、にっこりと笑って、階段を上がって行った。
「その髪、似合いますよ」
 オルガが、後ろ姿に声を掛けた。ミレーヌにとっては、来週の映画より、今はファッション誌だった。これもまた、読んだ事の無い物である。

 今まで服は、モスクワの頃、幼いせいもあろうが母が与えたフリルやレースの多い、甘い服だったような気がする。オルガの選ぶ服は仕立ては良いが、母よりも甘さが抑え目で、現代的。スカートもスラックスもある。父からのは大抵がドレスと呼ぶに相応しい、ワンピースだった。
 今時の女の子はどんな服が多いんだろう、ベッドに転がり、雑誌を開く。特集は『デートなら、このコーディネイト!』とある。デート? ピエトロとの映画は別にデートじゃないわ、ミレーヌは昼間のカフェを思い返した。
 彼が自分に友人以上の好意を持っているのは、よくわかる。どうわかるかと言われても、説明はできなかったが、そんな雰囲気を感じる。
 犬や猫だって、好きな人には寄ってくると言うではないか。動物的勘が、意識を察しているんだろう。私も同じように、そう感じただけ。だから、どうという事もない。映画に誘うセリフがなかったら、きっと彼の好きな映画の話が延々と続いたに違いなかった。
 思い出し笑いをしたが、ふと、自分の行為に何か既視感を覚えた。自分の事を詮索されたくなくて、彼に話を振った。その光景は、どこかで知っていた。
 それは、父との会食に似ていなかっただろうか。
 父からミレーヌに発せられる、他愛のない質問、それに嬉々として答える娘。その姿は、今日のピエトロと同じではなかったか。
 見開いた彼女の目は、しばらくの間、くうをさまよっていた。

→映画館 1

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