形の無い月 (18) 街角 1

2021/10/04

二次創作 - 形の無い月

 翌日ミレーヌは、予約を入れた行きつけの美容院へ向かった。オルガは送っていくと言ったが、休みの日曜だから気にしないで、地下鉄で行くからと断った。
 ミレーヌは地下鉄が、結構好きだった。ゴトンゴトンと鳴る車輪の音が、心地良いからだ。単に電車が好き、とも言える。小さい頃は危ないからと乗る事は無かったが、高校に行くようになるとオルガからOKが出た。もう自分でどうにかできる年令と認めてくれたという事だろう。
「いらっしゃいませ、サベリーエワ様。お待ちしておりました」
 美容室の入口の自動ドアが開くと、いつものように美容師が挨拶をかけてくる。
「こんにちは。電話で言った通り、私、ブロンドにしたいの。よろしくね」

 風でなびく髪が気持ち良かった。肩より少し長いミレーヌの髪は、ダークブラウンからずいぶんと色が落ち、明るくなっていた。
「濃い色の髪は漂白(ブリーチ)が2回必要になります。1度にやると髪が痛むので、また来週お越しください」
 美容師にそう言われて、今日は帰された。また来週。しかしショウウィンドゥに写る自分の髪が明らかに変わっているのは、心が華やいだ。このまま家に帰るのが惜しくなる。本屋の前を通った時に、思いついて中に入る。
 雑誌コーナーまで進むと、女性向けファッション誌の棚の前まで進む。どれを選ぼうかと表紙を眺めながら体をゆっくり横に滑らせていると、彼女のショルダーバッグが、軽く何かに当たった。バックを掛けていた右を向くと、通路を歩いていた他の客のバッグに当たったようだ。
「あ、ごめんなさい」「いえ、こちらこそ」と、互いに会釈をした。ミレーヌは再びファッション誌の表紙に視線を戻したが、背中からの声に引き戻された。
「もしかして、ミレーヌ・サベリーエワ?」

 振り返ると、バッグ同士が触れた相手だった。右肩からスクールバッグのように大きな物を掛けて、こちらを見ている黒髪の少年は、見た事がある。高校の、30人ばかりのクラスの中に見た顔だった。すでに身長はすらりと伸びていた。まだ少年の細い体と、もっさりした伸びた髪が幼さを感じさせる。
「同じクラスのピエトロ・クルボワンだよ。ミレーヌ、だよね」
 だよね、と言われたのは髪のせいだと気づき、笑った。ピエトロとは特に親しく話をした事は無かった。それは彼だけでなく、まずは女の子達と仲良くなりたくて、男子の方に目を向けていなかったためである。自分に向けられる男子の視線は感じていたが、それらは気づかぬふりをした。
「そうよ、ピエトロ。美容室の帰りなの。よく、気づいたわね。というより気づかれる程度の変化なのかしら。私は結構変わったと思うんだけど」
 ミレーヌは少し残念そうに、指で毛先をひとつまみすると、目の前にかざしてみる。
「いや、単に僕が人の顔を覚えるのが得意なだけだよ」
 ピエトロは、本当の事など言えなかった。きみがキレイでクラスで目立つからさ、などとは。ミレーヌは飛び入学で入った時点で少々の目立つ存在ではある。彼女は同性には自分から声を掛けていたが、そうでない時には、男子からは気軽に声をかけにく、近寄り難い雰囲気があった。きみの方をチラチラ見てる奴は他にもいるし、と思い出して、ピエトロは自分の顔が赤らんでいないか、不安になる。

「だいぶ印象が変わるね」
 素敵だよ、と褒める事もできなかった。
「ありがとう。でもまだ第一段階よ、来週もブリーチするの」
 微笑む彼女に、
「女子は大変だ。じゃあ、また」
 それ以上、どう話していいのかわからず、彼はレジに向かった。今度兄貴に、女の子との付き合い方を聞いてみようか、と思いながら。
 本屋のレジは混んでいた。並んでいると、ひとり置いた後ろにミレーヌが雑誌を手に、続く。ピエトロは自分の会計が済むと素早くレジから離れ、バッグのジッパーを開けて中に買った雑誌を入れるという、時間稼ぎをしてみる。せっかくレジまで一緒になったんだ、何か、もっと話してみたかった。
「きみは何を買ったの?」
 よし、普通に聞ける内容だ、レジを済ませたミレーヌに声を掛ける。
「ティーンエイジャー向けのファッション誌」
 出口へ歩き出す彼女と連れ立ってはみたものの、その返答にへえ、と言ったきり、後が続かなくなった。

「ピエトロは、何を買ったの?」
 ミレーヌは聞かれたお返しに尋ねたわけだが、彼には助け舟だった。
「映画雑誌だよ」
 2人は、店を出てしまった。彼は本当なら、買った映画雑誌を読むために、すぐに家に帰るつもりだった。昨日は少し離れたブルターニュに住む父の弟、つまり叔父に子供が産まれて、そのお祝いに家族で出かけたため、本屋に来られなかったのだ。そしてその疲れでか、今日は午前中は眠っていた。しかし今は、雑誌を広げるよりも彼女と話がしたかった。
「映画雑誌! そういうのもあるのね」
 通りに出て立ち止まった彼女は、興味を持ってくれたらしい。
「知らないの? 結構、何種か出てるよ」
「ええ。私は、結構、何も知らないのよ」
 彼女の自嘲気味の笑みに、しまった、気を悪くさせてしまったと焦った。
「ああでも、こういうのを買うのは、映画マニアの人だけだから」
 あわてて取り繕ってみたが、自分を映画マニアと白状しただけだった。
「ねえ、カフェに入らない? その雑誌、見せて」
 彼は、天使の声を耳にした。

→街角 2

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