形の無い月 (8) 対面 2

2021/09/13

二次創作 - 形の無い月

「私は色々と仕事をしているので忙しい。会える機会は少ないが、ワトーに任せてある。言うことを良く聞いて、毎日を過ごしなさい」
 男がオルガの方に目をやると、彼女は手に持っていた小さな箱を差し出した。受け取った男は、片手に収まる程度の小さな黒のベルベット貼りのジュエリーケースを開くと、ミレーヌに渡した。
「これはナターリアの形見だ。お前が使いなさい。他にも色々あったが、子供が使うには豪華すぎる。他の物はお前が大人になったら、与えよう」
 ケースの中には、1センチに満たない、半球の形の赤い石のピアスがあった。とろんとした深い赤い色は、たしかにミレーヌには見覚えがあった。母は外出時には煌びやかな宝石の様々なピアスを付けていたが、家に居る時にはこれを何度か目にしていたような気がする。
「ナターリアは自分の写真を残さなかったな。残念な事だ」
 確かに母の写真は見た事が無かったと、少女も思い出していた。写真屋が声を掛けても母が加わる事は無く、ミレーヌひとりの写真を撮っていた。赤いピアスを眺めて、母を近く感じた。
「ありがとう」
 まだ父への違和感はあったが、この贈り物には素直に感謝した。

「では、すまなんな。もう時間が無い。またな」
 その言葉にオルガが動き、ミレーヌを抱き上げて離れた所に置き、男の通る道を開けた。そして素早くドアに近づきドアノブを引くと同時に、最初のダークスーツの男がもう片側を開いて、男を迎えた。
「お父様、今度はいつ来るの?」
 男の背中に声を掛けたが、彼は振り向きもせず、軽く右手を挙げて、扉の向こうへ去った。
 オルガは玄関ドアが閉まるまで、緊張が解けなかった。しかし、おそらく次は、様々出るであろうミレーヌの質問に答える時間だった。
 サロンに戻ると、開いたジュエリーケースを手にしたままで、自分を見つめる少女の瞳に、心の準備をする。
「本当に急で、驚きました。何の前触れもありませんでしたから。お忙しい時間の中で、会いに来てくださったのですよ」
「ねえ、本当にあの人がお父様なの? どうして、えーと⋯⋯」
 オルガは、部屋の肘掛け椅子に座ると、上手く言葉にできない少女の気持ちを察して、答える。
「年の離れたパートナーは多くはありませんが、ひどくめずしい事でも無いのです。世の中には、そんな事もあります」

 ミレーヌはケースをローテーブルに置くと、オルガの前で疑問ばかりの心をぶちまける。
「お父様の名前を聞くのを忘れちゃった!」
「ルシアン・フルーリー様です。ご出身は外国のようです」
 これで納得してくれるだろうか、とオルガは内心身構えたが、少女の関心はもっと他にもあるようで話題は移った。
「ルシアン・フルーリー、忘れないようにしなきゃ。でもあの足は、何?」
「義足です。事故や病気で手や足を無くした人は、義手や義足を付けるのです。普通はあまり目立たない形にするので気づきにくいですが、お父様の義足は、何と言うか⋯⋯個性的です。ご本人のお好みなんでしょう」
「ぎそく⋯⋯」
 ミレーヌは、また新しい単語を耳にした。次の質問が来る前に、オルガは言葉を続ける。
「眼の機能、眼の健康ですね、悪い方は、サングラスを利用する事もあります。義足やサングラスで変な人と考えてはいけません。あなただって、いつ事故や病気で義足になるかもわかりませんよ? そんな時に、人から変な目で見られたら嫌でしょう?」
 そう言われて、ミレーヌは自分の足が金属になる姿を想像して、ぞっとした。同時に、父の足を怖いと思った自分を恥ずかしく感じた。

「たとえばの話です。もちろん、絶対にそんな事にはなりません。私がお守りします。今日は初めてお会いするので、もしかしたらお父様も、照れていらしたのかも知れません」
「お父様は、怖い人じゃないのね」
 テーブルに置かれたジュエリーケースに目をやると、少女はほっとしたように、小さく笑った。
 オルガはケースを手に取ると、それを眺めた。
「質のいい珊瑚でしょうか。形がシンプルだし、子供が付けていても違和感はありません。金具がボディピアスの形状になってますから、眠る時も付けていられます。耳に付けたくなったら、言ってください。穴を開けに美容クリニックに行きましょう。でも最初は痛いですよ。穴が安定するまで色々面倒だし。それにすぐに、そのピアスは付けられませんよ」
 そう言いながらも、彼女の両耳には耳たぶを包むような、小ぶりの金のピアスがあった。
「私、付けたい! お母様のピアス!」
「決断が早いですね。わかりました。では今日は動物園はやめて、クリニックに行きましょう」
 フランスでは子供のピアスは別段珍しくもなく、扱う側も慣れている。今夜は母への追憶と耳の痛み、どちらの痛みで泣くんだろうか、オルガは少女を見つめていた。

 走り出す車の後部座席の黒メガネの男は、会ったばかりの娘の事を考えた。自分の血を引いた、賢そうな顔つきに満足した。
「まあ、最初はこんなところか」
 小さくつぶやくと懐から取り出した写真を、車に備え付けられているシュレッダーの口に差し込んだ。

小説の匣

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