形の無い月 (7) 対面 1

2021/09/13

二次創作 - 形の無い月

 その時、ふいに玄関ホールの壁のインターフォンが音を鳴らした。まだ引っ越したばかりのこの家の玄関ベルが鳴る事に、オルガは不審に思いながら部屋のドアを開けてインターフォンに近づいた。しかしモニター画面に目をやると、一瞬、息を止めた。
「はい。ただ今、開けます」
 機器のスイッチから手を離すと、ミレーヌの方を向いて、少しばかり緊張感のある声で言う。
「突然ですが、お父様がおいでになりました」
 当然、ミレーヌはオルガ以上の驚きをもって、その言葉を飲み込んだ。あまりにも唐突な、お父様という単語を。心臓がドクドク言うのが、自分でもわかる。座面の高い椅子から降りようと思うが、上手く身体が動かなかった。
 オルガはミレーヌを椅子から抱き上げると、サロンの部屋へ移動する。彼女を降ろすと、
「そのまま、待っていてください」
 玄関ホールへと消えた。ミレーヌは、その閉じられた両開きのドアをじっと見続ける。
 次にドアが開かれた時、最初に入ってきたのはダークスーツを来た、体の大きな男だ。その男はドアを過ぎるとすぐに洒落たドアノブに手を掛け、自分の体に付けるがごとく、ドアを開いたままに留めた。次に入る人物のために。

 奇妙な服を着た、背の高い男が入って来た。金の刺繍が入った幅広の立襟に、留め金は金貨のように付いていた。黒に近い色で足首まで長い、コートのような服。両袖は、たっぷりと幅広で、袖口にかけてトランペットのようにさらに大きく広がっており、その中から金の刺繍を施した細い袖と、骨張った手が見える。
 白髪が目立つブルネットで、細長い顔には丸い黒メガネ、こけた頬に細長いあごは角ばって割れていた。そして少女から見ても、その男は老いていた。男が歩くと金属の擦れる音がし、何かと思ってみれば、服の裾から見えるのは金属で出来た右足で、皮のサンダルのような物を履いている。
 その男の後にオルガが続き、戻ってきた。最初に部屋に来たスーツの男は無言で礼をし、扉の外へ移動すると、閉まる扉の向こうに姿を消した。
 黒メガネの男はミレーヌにちらりと視線をやると、オルガの案内する応接セットのソファーへ腰を降ろす。アンティーク風の濃い茶色の皮張りのそれは、背もたれから続く肘置きも優美なカーブを描いていて、男が座るとその風貌と共に威厳を醸し出した。
 オルガは、離れた所に立つミレーヌをうながして、その男の前に近づけさせる。

「あなたの、お父様です」
 2人から距離を置いて立ったオルガは、ハッキリとそう言った。しかしその言葉があっても、ミレーヌには信じられなかった。美しい母と、目の前の得体の知れない老いた男が同列に考えられなかったのだ。
「ミレーヌか、大きくなったな」
「本当に、お父様なの?」
 オルガの方を向いて聞いたが、彼女は深くうなずくだけだ。
「今まで会えなかったから、驚いたのか。ナターリアの葬儀に行けずにすまなかったな。急で時間が取れなかったのだ」
 母の名前が出たが、それでも少女には納得が出来なかった。あまりにも思い描いた「お父様」と、かけ離れていたからだ。まだ顔を合わせられない。うつむいたまま、疑問を口にする。
「お母様と、結婚をやめたの?」
 幼い娘の言葉に、男はオルガの方を見た。
「あの、私の両親が離婚したという話をしたもので⋯⋯申し訳ありません」
 困ったように彼女は足元の床に視線をやりながら、答える。男は娘に視線を戻すと、答える。
「まあ、そんなところだ。お前を産むというので、モスクワに住まいを与え、暮らしに困らぬように資金を援助していたのだ」
 ミレーヌはいつかの母の言葉を思い出していた。
「あれは欲望に素直な女だった、私はそれが気に入った」
 少女に言葉の意味はわからなかったが、母の美しさをめないのが気に入らなかった。

「お母様は、きれいな方よ」
 抗議のように、口にする。
「ああ、美しい女だった。お前はナターリアに似ているな。毎年の写真が楽しみだったぞ」
 写真の話が出たので、ミレーヌは初めて顔を上げて、目の前の男の顔を見た。黒メガネの奥の瞳は、わからない。私がお母様に似ていると言った。どんな目で私を見ているの、じっと黒メガネを見つめてみる。
「ほれ、こうしてお前の写真は持ち歩いているのだ」
 男は、服のボタンを2つ3つ外すと中に手を入れ、写真を取り出した。それは先月、撮影されたばかりの彼女の写真だ。
「本当に⋯⋯お父様なの?」
 今度は涙声になってしまった。
「ああ、私がお前の父だ。すまなかったな」
 それは、慈愛に満ちた言葉に聞こえた。
「お父様」
 ミレーヌは男に近づき、ソファーに座る男の脚にそっと両手を置いた。金属の右脚は怖いので、左の脚に。男は足元に来た娘の頭を、優しく撫でた。今まで少女の頭を撫でるのは、母しかいなかった。これからはお父様が、こうしてくれるのかしらと、ぼんやりと思ってみた。

→対面 2

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