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夜の爪あと (25) 仮面の後ろ 1

2025/08/08

二次創作 - 夜の爪あと

 翌日、ホテルの部屋のチャイムを鳴らすと、チェーンロックを付けたままドアがわずかに開き、レティシアの顔が現れた。訪ねてきたアルマンを確認すると一度ドアは閉まり、今度はチェーンを外して大きく開かれ、彼は招かれる。
 彼女は普段の服装とはまるで違っていた。髪はアップに結い上げて、しっかりした化粧の赤い唇、黒の絹とおぼしき布地の上に同色の花柄のレース生地を重ねた膝下までのエレガントなシルエットのワンピース。襟元はのVネックと肘までの袖で、なめらかな肌を見せていた。彼の目を楽しませるには充分なくらいだ。
 そんな姿で笑みをたたえて無言で両腕を差し出すレティシアに、アルマンは肩からかけていたバッグを床に下ろし、彼女を腕の中に抱き入れた。軽く、ワインの香りがする。重ねた唇はやがて開かれて、互いの情熱を貪るように舌が交差した。男の背中側に回された彼女の両腕は、彼の存在を確かめるようにゆっくりと滑り落ち、強く抱きしめる。彼もまた、彼女の背中と腰に回した腕が手のひらで女の身体をしっかりと感じとった。
 ようやく開かれた恋の扉に、アルマンは恍惚を感じつつも酔い切らないように理性を保とうとしていた。閉じていた目を開くと、レティシアが誘うような目で、いらっしゃいと言う。
「ね、サプライズでしょ?」
「まったくだ」彼は軽い笑顔で返した。
 15時の電話のコール1回でアルマンは受話器を上げた。レティシアの言葉は、確かにサプライズだった。シャンゼリゼ通りの裏手にあるホテルのルームナンバーを知らせてきたのだ。
「もう、チェックインしたわ。部屋で待ってるから、来てね」
 その言葉だけで、意味は事足りた。欲を言えば彼女の部屋を望んでいたが、せっかくの大胆な誘いを断る理由はなかった。

 レティシアは彼が床に下ろしたバッグに目をやった。
「なぁに? 大きな荷物。遅いと思ったら、仕事してたの?」
「きみとの約束があるから、さっさと終わらせた仕事を渡してきただけだよ」
 小規模な古いホテルのその部屋は想像通りに狭かったが、ダブルベッドの他に椅子が2つと小さな丸テーブルはあった。テーブルの上には赤ワインのビンとグラスが2つ。すでにひとつのグラスには半分ほどのワインが残ってる。
「遅いから、先にワイン飲んでたの」
 彼女はテーブルに近づくとアルマンの分をグラスに注ぎ、自分の方にも注ぎ足した。彼のためのグラスを手に持ち、渡そうと近づいてくる。アルマンも受け取ろうと近寄ったが、その時、彼女の姿勢が前傾に乱れた。きゃっ、という小さな声と共にアルマンの方へ崩れそうになる。彼女の腕を上手くキャッチはできたが、グラスの中身が彼の胸のあたりに振りかかってしまった。
「ごめんなさい。久しぶりにヒールのあるパンプス履いたから、足がカーペットに引っかかってバランス崩れたわ」
 彼女は、ほぼ空になったグラスをテーブルに戻すと、こっちに来てとアルマンの腕を取り、バスルームに移った。濡れてしまった服ををぬぐうようにと、備え付けのハンドタオルを彼に差し出す。
「せっかくのムードがぶち壊しね。ついてないわ。先に軽く拭いておいて。わたしは床にこぼれたワインを拭くから」
 と部屋の方に戻っていった。彼にしてみれば、それはちょうど頭を冷やすのにいい時間ではあった。あのままいたら、彼女を抱き抱えてベッドに押し倒していたところだ。今日は、その前にする事がある。渡されたタオルで、シャツと革のジャンパーを拭いた。戻ってきたレティシアは、すまなそうな顔をして、彼の手からタオルを取り、ジャンパーの前襟を持ち上げてタオルを何度も軽く叩くように拭いている。
「大丈夫だよ、シャツだってダークグリーンだから目立たないし。それよりも⋯⋯きみはジェローム・ラギエが死んだって知ってる?」

 彼女の手が止まった。その視線はタオルの先から、アルマンの顔に移る。
「知ってるわ。土曜の開店前にお店に警察が来たから。金曜の夜に、サン・マルタン運河の階段から落ちて亡くなったみたいよ」
 再び彼女は視線をタオルに向け、今度はシャツのボタンの間から左手の指を入れて服を体から浮かし、表からタオルを当て始めた。
「お気の毒な事故でしょうけど、どうして今、その話になるの? あなたはどうして知ったの?」
「ぼくは、ちょっと前に知った。仕事先のミニコミ誌の担当者と雑談してて。久しぶりに二日酔いになったと話していたら、先週末にサン・マルタン運河で酔った若い男の転落死亡事故があったって。若くてもそんな事もあるから、酒には気をつけろって話をされた」
「そうね、若いのにお気の毒だわ」
 彼女は手を止めずに、抑揚なく応えた。
「で、気になってさ、ちょっと確認した。そしたら被害者は市役所勤めのジェローム・ラギエだった⋯⋯」
 彼女は、ふぅ、と軽く息を吐き、タオルを洗面台の端に置いた。そのまま、部屋に戻っていく。アルマンもそれに続いた。
「⋯⋯ぼくが追っていた噂は、工業団地入札に絡んだ汚職さ。ラギエはそのプロジェクトの一員だ。⋯⋯だけど彼は死んでしまった」
 レティシアは再度グラスにワインを注いで、彼に差し出した。
「それっぽい話をジェロームから聞いた事はあるけど、くわしくは知らないわ」
 レティシアは、不思議そうにアルマンの顔を見つめながら、ベッドに腰掛けた。アルマンはその横には座らずにいた。テーブルの足元に彼のバッグが移動されていたため、そばの椅子の方に腰掛ける。彼女の顔を見ながら話をしかったからだ。
「そりゃあラギエだって、関係のないきみに話はしないだろ。ぼくだって最初はあいまいな情報で、彼自身に不正の疑いをもってたけど、実際はそうじゃなかった。証拠能力としては甘いけど、ラギエはなにか情報をつかんでいたらしい。でも彼は不運にも死んでしまった」
 彼はワインをひと口飲むと、グラスをテーブルに置く。もちろん今日は飲み過ぎないつもりだ。
「彼は、何かきみに残していないかい? まるで関係ない事のように、なにかをプレゼントしたりしてないかい? ⋯⋯じつは今朝、本当に偶然に、きみを見たんだ。貸しロッカーの店から出てくるところを。もしかして、あれはラギエの残したなにかじゃないのか?」

 いよいよ切り出した今朝の光景に、レティシアの目に少しの動揺を感じた。
「⋯⋯まあ。それは⋯⋯本当に⋯⋯本当に偶然だわ。そんな事もあるのね」
 彼女はベッドの枕元に置いてあった自分のハンドバッグから、青いタバコの箱を取り出した。
「結果的に⋯⋯置き土産になった貸しロッカーの鍵よ。彼としては単純に秘密の小箱を私に預けたつもりでしょうけど。彼が死んでしまったから、急いでロッカーを開けたの」
 やはりあの貸しロッカーは、そういう意味だったのか、とたんに目的の宝に辿り着いた冒険者のようにアルマンの目が輝いた。秘密の小箱、朝の時間にロッカーへ行ったという事は、彼女は謎をいち早く知りたかったからなのだろう。
「それをぼくに渡してほしい。彼の遺志を継ぐためにも」
 レティシアはジタンの箱から1本を抜き出し、口にくわえると華奢なガスライターで火を点けて、吸い込んだ。あたりに独特のクセのある香りと煙が漂った。
「やっぱりこれ、わたしにはきついわ」
 煙を吐き出すと立ち上がって、彼の前にあるテーブルの灰皿で揉み消した。
「アルマン。あなたにそれを渡したかったわ。本当なら」
 彼女の言葉の意味が理解しかねた。まさか他のジャーナリストに渡してしまったという事だろうか、あるいは警察に? アルマンはひどく焦りを感じていた。彼が口を開きかけると、レティシアはさえぎるように言葉を続けた。
「ジェロームは、本当に運の悪い事故なのかしら?」
 感情のない人形のような彼女の緑の目が、彼に問いかける。
「まあ、運が悪かったんだよ。事故でなければ、なんなんだい? まさか殺しだとでも? たかが工業団地入札で、賄賂くらいはあるにせよ、殺人なんて極端すぎるよ。⋯⋯現実味がないよ」
 彼の返した言葉を、冷静な人形の瞳が見つめていた。
「その予定してる工場は表向きで、実は犯罪組織の麻薬精製工場でもあったりすると、違うんじゃない? どうしても入札で成功させる必要があった、とか」
 突然の言葉にアルマンの心臓が波打った。彼女は、なにを言ってるのか。今、アルマンを見つめるレティシアは、かすかに眉を寄せた。ゆっくりと、彼女の唇が言葉を発した。
「あなたの話が本当なら、渡したわ。あなたがカラブリアン・シャドウズじゃなければ」

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