土葬の記憶

2022/02/25

雑記 - ただの、つぶやき

 ロシアのウクライナ侵攻で世界がキナ臭くなってきた。ただでさえ、新型コロナで世界中が疲弊しているというのに。ドンパチやるのはフィクションの中だけで、いいよ。

 前の記事を投稿してから1ヶ月が経っている。昨夜、ブログ村のマイページを見てみたら、PVポイントが1クリック10ポイントではなくて、端数になっていた。なるほど、記事を新規投稿してないとそうなるんだね。
 相変わらず、メイン記事よりガラケーやBlogger記事の方にアクセスあるんだが、存在証明のために過去の話でも書こう。

 私の母方の実家は農家だった。そして母は兄弟が多い。母は下から2番目だったので、一番上の兄との年齢差も結構開いていた。ゆえに私は母方のイトコには、全員に会った事が無い。イトコが何人いるのかも知らない。兄弟が多いので、盆や正月にはそれぞれが日程をずらして2家族ごととかで里帰りしていたからだ。

 母方の祖父がそれなりの年齢で病死した時、私は高校生だった。その時に、初めて神道の葬式を経験する。その場に行くまで、神道とは知らなかった。ふすまを取り払い、2間の和室を繋げた部屋で葬儀が執り行われた。親族の人数が多いので、部屋に入りきらず、縁側の窓も開け放たれて庭にも人があふれた。僧侶でなく神主が勤め、線香でなく玉串が使われる。滅多に無い経験ではある。
 暑い盛りで自分の顔から汗が落ちたのを覚えている。多くの叔父、叔母、伯母とイトコ達も何人かいたと思うが、さすがに葬儀で「はじめまして」をする事にもならない。

 葬儀が済むと、何人かで白木の棺桶を担ぎ、歩いて数分の墓地へ向かう。田舎に住む人なら、わかると思う。田んぼの中に小さな空間として存在する墓地、ああいう場所だ。おそらくその時に母に聞いたと思う。土葬だと。えっ、まだ土葬って残ってたの? というのがその時の驚き。
 神道なので、カラフルな細長い旗のような物を先頭にしていたような気がするが、よく覚えていない。全員が、ゾロゾロと後について歩く。親族の葬儀に臨席したのは初めてだったので、私は言われた通りに歩くだけである。

 祖父は年に2回しか会わないし、ありがたく小遣いをもらいはしたが、そう親しく話をする事も無かったので、感傷的になる事は無かった。おじいちゃん、死んじゃったなー、くらいのものだ。ただ、めずらしい神道の葬儀で、しかも土葬だったので、そうと知っていれば、カメラで写真を残しておきたかったな。
 墓地に行ってみれば、すでに墓地の一画に穴が掘られていて、そこに棺桶が下ろされる。親族がひとかきずつ土を落とし、やがて埋められた。他にもいくつか墓があったので、皆、土に還っていたのだろう。
 死んだ人間が土に還る。自然の循環に組み込まれて、いいなと感じた。

 十数年後に祖母が他界した時は、同じく神道式であったが、さすがにその頃には火葬である。衛生上の問題か、あるいは埋めるスペースが足りなくなったのかもしれない。土地の少ない日本では、現在は当然の火葬だが、土葬の方がそのままの姿で別れられて悲しみは少ないかもしれない、とは思った。
 クリスチャンのヨーロッパでも、最近は土地が少なくなって火葬の比率が増えているようだけどね。土葬は贅沢なんだろうな。

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