けたたましいサブマシンガンの音が広い大理石の床に響いた。辺りに飛び散る薬莢(やっきょう)が金属音を鳴らし、最後の1つのキン、という乾いた音が鳴った時、その部屋の主人は広い皮張りソファーから立ち上がって身構えたが、横に侍(はべ)らせた女を除いて、自身の味方はもう誰もいないのだと悟るしかなかった。
壮年の男の淡い金髪は側頭部を残して禿げていたが、いかつい顔と頑丈な顎に蓄えた白髪混じりの髭、太い首とロシア人らしく大柄で恰幅のよいビア樽のような体は、ロシアン・マフィアのボスに相応(ふさわ)しかった。上等なオーダーメイドのスーツを身につけていたが、残念ながらそれを褒めてくれる部下はもう残っていないのだ。
ロシア、エカテリンブルク郊外の針葉樹の林に囲まれたバロック様式を模した豪奢な屋敷は、目の前に現れた集団によって美しい調和を破られていた。
寒さを防ぐ二重の重厚な玄関扉は、原型を留めていない。玄関ホール、そしてこの居間へと続く廊下にもきっと部下達が骸(むくろ)をさらしているのだろう。
この部屋は、今や弾けた火薬の匂いと白い煙と血の匂いと、身体にいくつもの赤い穴を開けて床に倒れた幾多の部下と、沈黙だけが残っている。
叫ぶでなく、泣き声でもなく、女がぽつりと一言つぶやくように屋敷の主に言葉を発した。
「アレンスキー、もう終わりだわ」
結いあげた金髪に煌めく宝石の髪飾りを挿した若い女は、おもむろにソファーから腰を上げ、招かれざる集団を見つめる。ドレスの衣擦れと、胸に輝く精緻な造りの宝石の連なったネックレスが小さく擦れた音すら聞こえたかと思えるほど、静かだ。窓の外の風切り音がうるさくないなんて、今夜は珍しく風が穏やからしい。
防寒コートの上からでも分かる、いかつい体をした男達は20人ほどか。屋敷の外にも仲間はいるのだろう。きっとコートの中には防弾チョッキも着けている。もちろんその手にはサブマシンガンがあり、最後の仕上げをしようと待っている。
「そう、終わりだ。シードル・アレンスキー」
集団の後方からの声が、人波を分ける。小さな丸い黒メガネをかけた大柄の痩せた男は、金の刺繍のある立て襟と広がった両袖に赤糸の刺繍の、足首まで覆うコートのような黒い服を身につけており、それは一瞬、宗教家を連想させた。
痩せてはいたが、その威圧感は男の生きてきた道が刻んできた気迫である。青年期に裏社会へ身を投じ、小さなコミュニティを形成した。率いるその集団は拡大を続け、今では「犯罪帝国ネクライム」の名を持ち、こうして世界各地の敵対組織を潰し続けてきた。初老とまでは言えないその体は未だ満足を知らず、この先も自身の野心を遂げるために暗躍するに違いなかった。
彼が歩み進むと、いかつい男達がその周囲を守るように囲む。
「フューラー、貴様!」
ようやく口を開いた屋敷の主人は立ち上がりながら同時に懐に手を入れたが、その手が銃口を敵に向けるより前に、乾いた十数発の音と床で跳ねる薬莢の音が続いただけだった。そばに立つ女は銃声の間、眉をひそめながら目を閉じ、耳を両手で塞ぎ、時が過ぎ去るのを待つしかない。
ロシアン・マフィア最大規模を誇る、アレンスキーファミリーの主は、その身体に受けた銃弾でスーツを赤く染めながら、足をよろめかせ、うめき声と共にソファーに転がった。アレンスキーのかすかなうめき声で女の目は開き、だらしなくソファーに寝そべっているかのような、彼の側に屈(かが)み込んだ。
その姿に再び銃口を向けようとした男達を、フューラーと呼ばれた男は軽く挙げた無言の右手で静止する。
「ありがとう、アレンスキー。楽しかったわ」
甘いハスキーなその声が聞こえるのか、聞こえないのか、アレンスキーはヒューヒューと笛のような息をした後、落ち着かないように動いていた瞳は、緩慢になり、やがて止まった。
女は指先で彼の瞼を閉じさせ、吐血の残る口元をハンカチーフで拭った。
「さよなら、アレンスキー」
メロドラマのような光景に、フューラーは背中越しの女に声を掛けた。
「やつの情婦か。なぜ逃げなかった? 他の使用人は裏口から逃げたようだぞ。まあ、少しは死んだかもしれんが。」
顔を上げ、振り向いた女は、表情も無く答えた。
「逃げれば、反射的に撃たれるでしょ? 私、まだ死にたくないの」
その瞳は、ぼんやりと床のラグの赤いシミを眺めているようだった。
「まあいい。これでアレンスキーファミリーは壊滅だ。ロシア地域は我がネクライムが掌握した。お前は勝手にどこへでも行け」
踵(きびす)を返して去ろうとするフューラーに、初めて女は大声を上げる。
「待って!」
足を止めたフューラーは、右顔を半分だけ後ろに向けた。
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